「『燃えよドラゴンズ!』が野球界を変えた」野球音源収集家・FPM中嶋が語る応援歌ブームの真実【死ぬ前にやっておくべきこと】

大阪タイガースの球団歌『阪神タイガースの歌』(C)週刊実話Web

選手が歌っていた野球レコード隆盛の時代

プロ野球の歌が金になると分かれば、今度はチームから個へ。時代はバブル時代へと突入。選手個人がレコードを出す野球レコード隆盛の時代がやってくる。

今では俄かに信じられないが“プロ野球選手がレコードを出す”ことは、人気選手のステータスだったと言ってもいいかもしれない。

「選手個人のレコードの大元を辿っていくと、’58年の豊田泰光『男のいる街』でしょう。その後も、ポツポツと単発で江藤慎一が『銀座の恋の物語』みたいなムード歌謡を歌ったり、歌が上手くてピアノもできる阪急の岡村浩二が『夜の大阪別れ雨』を出していたりはするんです。ただ、この頃は銀座や新地で大御所から『歌うまいね。レコード出してみない?』と気に入られたノリで生まれたようなレコードですよね。これが、歌謡曲が全盛の時代になると、野球界にとどまらず、有名だったらレコードを出すことが当たり前となってくる。レコード会社もノボリ調子で余裕もあるから、企画モノが通るようになる。三億円事件が時効になる時にレコードを出してみたりね。そんな中で、プロ野球の現役選手のレコードも盛りを迎えるわけですが、最も売れたと言われる高橋慶彦の『うわさのセクシークイーン』はオリコンチャートに出てきたこともありますし、定岡正二のセカンド『ガラスの微笑み』なんてのは、アパレルとタイアップしてCMソングにもなった。定岡のレコードを入手するのはずっと後年になってからなのですが『ああ、このとき調子に乗っていたんだなぁ』と、近鉄へのトレード拒否もしみじみ理解できました。近鉄は闘将西本幸雄の思想なのか単なる需要の問題か不明ですが、12球団で唯一選手レコードを出していませんしね」

江本孟紀や原辰徳、落合博満など、当時のスター選手は人気のバロメーターかのように次々とレコードを出し、清原和博、緒方耕一、西崎幸広のような若い人気選手も「ボイスメッセージ」という形でインタビューが音源化されていく。

しかし、驕れる加藤哲郎がホームランを打たれた駒田徳広に「バーカ」と言われたバブルの終焉。景気の波と共に、プロ野球選手のレコードの企画も一気に見えなくなっていった。

「単純にバブルが弾けて、レコードを出す余力がなくなったということもですが、同時にプロ野球選手がイチローや野茂英雄のようなストイックになり、アスリート化していったことも大きいと思います。今のところ確認されている現役選手がレコードを出した例の最後となったのが、2000年3月、横浜の“大魔神”佐々木主浩がメジャー挑戦の時に小室哲哉プロデュースで出した『break new ground』でしょう」

大魔神の『WowWow』のハミングは、時代がアスリートへと変わっていく“プロ野球選手”として断末魔だったのか。そしてプロ野球音源、冬の時代がやってくる。
 (後編へ続く)

「週刊実話」7月30日・8月6日号より