大友宗麟、南蛮貿易の富と猪苗代湖に沈んだ蘆名家の軍用金 2つの埋蔵金伝説に残る謎【戦国お宝ミステリー5】

大友氏の財宝はどこに…

大河ドラマ『豊臣兄弟!』を見ても分かる通り、戦をするには金がいる。そのため、戦国武将たちは軍資金の貯えに余念がなく、その一部が埋蔵金として現代にも伝わっている。

そんな“戦国のお宝伝説”の残る8つの有力地を短期連載でご紹介。第5回目は日本初期のキリシタン大名としても知られる、大友宗麟の財宝に迫る。(全5回中の5回)

戦国お宝ミステリー4】を読む

28名の僧侶を弔う塚に財宝が? 1992年の発掘調査

1992年(平成4年)、大分県別府市にある遊園地で、大友氏が埋蔵したとされる財宝の発掘調査が行われた。その理由は、同家22代義統(よしむね)が薩摩の島津氏と戦った際、当時ここにあった寺の僧たちが立ち向かい、28名が戦死した。その霊を鎮めるために造られた塚に、大友家の財宝が埋められているとの言い伝えがあったからだ。

結果的に財宝は出てこなかったが、過去には旧大友領内で何度も財宝探しが行われ、江戸時代には本拠の府内城や四極(しはつ)城(=いずれも大分市)で、金や銀が掘り出されたとの逸話も残っている。

だが、キリスト教を保護した義統の父・宗麟は、南蛮貿易で莫大な富を築いたはず。しかも複数の場所に軍用金が埋蔵されたとの言い伝えもあるため、金や銀、美術工芸品など莫大な財宝の発掘を夢見る者が後を絶たない。

ちなみに、そうした大友家の財宝伝説の中で現在注目されているのは、臼杵(うすき)城跡地だ。「逆木から酉の方五十五足 卯の方五十五足」と宝のありかを示す文書も残されており、カギはこの「逆木」がどこにあるか、あるいはあったかが解明できるかにかかっているのである。

猪苗代湖の湖底に沈められた!? 蘆名義広の軍用金

一方、東北地方にも“お宝伝説”は残されている。1589年(天正17年)、蘆名義広は伊達政宗と磐梯山麓で戦った。これに大敗した義広は、会津若松城にあった金の延べ棒などの軍用金と蘆名家に伝わる財宝を、一説には100頭を超える馬に積んで運び出し、実兄を頼って常陸へと落ち延びた。

ところが、逃げる途中で伊達勢に加え野武士の集団が追撃してきたため、猪苗代湖畔まで来るとそれらを舟に積み替え湖に沈めてしまったのである。

以来、猪苗代湖には莫大な財宝が沈んでいるといわれ、昭和初期に「西側の中田浜沖に沈められた」などと書かれた古文書が発見されると、蘆名氏の子孫が潜水夫を雇って大掛かりな探索を行った。だが、猪苗代湖は日本で4番目に大きい湖で、水深も深かったことから見つからなかったのだ。

そのため、北西の翁島(おきなじま)の近くに沈められたとする説も、有力視されている。

【関連】もし秀長が長生きしていたら徳川幕府は誕生しなかった? 「実務の天才」が握っていた日本の命運【豊臣兄弟!トリビア】
【関連】『豊臣兄弟!』も仰天!? 裏切り、暗殺、虐殺…戦国武将の「卑劣度」ランキング!【豊臣兄弟!トリビア】