本能寺の変で消えた…明智光秀の世直し資金と「日本三大埋蔵金」結城家の黄金の行方【戦国お宝ミステリー4】

「本能寺の変」後、秀吉に討たれ“世直し資金”は行方知れずに…

大河ドラマ『豊臣兄弟!』を見ても分かる通り、戦をするには金がいる。そのため、戦国武将たちは軍資金を貯えるのに余念がなく、その一部が埋蔵金として現代にも伝わっている。
そんな“戦国のお宝伝説”の残る8つの有力地を短期連載でご紹介。第4回目は「本能寺の変」を起こした、明智光秀の世直し資金だ。(全5回中の4回)

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坂本城か京北町か 光秀死後に行方不明となった軍用金の謎

明智光秀が本能寺の変を起こした理由は、一説には仏法を守る政治の実現だったという。そのため、世直しを行う資金も用意していたようだが、光秀が早々に討たれたためにこの資金が宙に浮いてしまった。のちに家臣が埋蔵したといわれるが、埋めた場所には二つの説が存在しているのだ。

その一つが居城だった琵琶湖のほとりの近江坂本城。もう一つは、光秀と縁の深い慈眼寺のある京都府右京区京北町だ。

現在、坂本城跡は琵琶湖畔に石垣がわずかに残る程度。もし何かが埋まっていたとすれば、とっくに発見されている可能性が高い。そうした理由から、近年は山﨑の戦いに敗れ光秀を失った明智軍が、極秘に京北町にある慈眼寺か光秀が築いた周山城に持ち込んだ可能性が有望視されているのである。

奥州藤原氏の遺宝を受け継いだ 結城晴朝の黄金伝説

また、戦国時代に栃木県から茨城県にまたがる北総地帯を治めていたのが、結城晴朝だ。同家の初代朝光は、源頼朝に従って奥州征伐で手柄を立て、恩賞として藤原氏が蓄えていた莫大な黄金を与えられた。

その後、黄金は代々結城家に伝えられてきたが、17代晴朝のときに江戸に本拠を移した徳川家康に狙われ、これを察知した晴朝によって極秘裏に埋蔵されたという。その量は莫大で、長さ40〜60センチの金の延べ棒が5万本もあったほか、樽に入った砂金まであったという。

大岡忠相も挑んだ「日本三大埋蔵金」

もっとも、この一事が家康の逆鱗に触れ、結城家は越前福井へ国替えに。それと同時に結城領を我が物とした家康は、領内をくまなく探させたが黄金は見つからず終い。その後も町奉行・大岡忠相や、幕末まで結城城主を務めた水野家の子孫が挑戦したが、誰も掘り当てられていないのだ。

ただ、突破口は存在する。注目すべきは、晴朝が建てたという結城市内にある金光寺だ。その山門の梁には不思議な3首の和歌が彫られており、そこに黄金のありかが隠されているとの話がある。また、現在本命視されているのは寺の北西にある晴朝の隠居所だった中久喜城。当時の土塁や祠(ほこら)が散在しており、いかにも怪しげだ。

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