【W杯の光と闇③】アルゼンチン初優勝の裏で囁かれ続ける“八百長疑惑”の真相

延長戦でゴールを決めて喜ぶアルゼンチンのマリオ・ケンペス

今大会もW杯はすさまじい盛り上がりを見せているが、光が強ければ闇もまた深くなるもの――長い歴史の中には、今なお真相が闇に包まれたままの「疑惑の試合」が存在する。今回は八百長が囁かれた試合を振り返ってみよう。

絶体絶命——4点差以上で勝たなければ終わる

1978年アルゼンチン大会。2次リーグ最終戦を前に、アルゼンチンはブラジルの後塵を拝し、決勝進出にはペルーに4点差以上をつけての勝利が必須条件だった。しかもブラジルはすでに3試合を終えており、アルゼンチンの試合結果を待つだけという状況。自国開催で初優勝を狙うアルゼンチンは、これ以上ない崖っぷちに立たされていた。

試合前夜——独裁者がロッカールームに現れた

試合直前、ペルーのロッカールームにアルゼンチンのビデラ大統領が「選手激励」に訪れた。さらに米国のキッシンジャー元国務長官も同席したとされる。サッカーの試合に、なぜ開催国の独裁者と元大国の外交官が現れるのか――この一点だけでも、同試合が通常のフットボールの枠を超えた何かであることを示唆していた。

「6-0」疑惑を生んだ不自然な大差

試合はアルゼンチンが6-0と大勝。ブラジルを得失点差でかわして決勝進出を果たし、その後オランダを3-1で下して悲願の初優勝を成し遂げた。しかし、この圧倒的な勝利が疑惑を招いた。長年ペルーでプレーしてきたGKがもともとアルゼンチン出身だったこと、さらにアルゼンチンの軍事政権が、同じ軍事政権下にあるペルーに物資と金銭の援助を申し出たとの噂が広まったことが憶測を呼んだが、これを裏付ける決定的証拠がないにもかかわらず、疑惑は深まるばかりだった。

【関連】【W杯の光と闇②】イエローカードで突破を決めた日本代表W杯史上初の衝撃ルール