フランチャイズ企業も顔負け! 豊臣秀長が駆使した「名字バラマキ」調略術 家康も政宗も羽柴だった

豊臣秀吉

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、兄を献身的に支える「理想の弟」として描かれている豊臣秀長。だが、その素顔は、兄が作った「豊臣」というブランドを武器に、日本中の武将を懐柔して回った凄腕の「営業本部長」だった。

彼が展開した「名字バラマキ」という名の調略術は、現代のフランチャイズ起業も顔負けのエグさだったのである。

「羽柴だらけ」の聚楽第 家康も政宗も豊臣ブランドに上書きされた

「秀長は、武力でねじ伏せる前に『名前』という甘い蜜で相手のプライドを飼い慣らす天才だった。四国や九州の平定において、彼は降伏した大名に『羽柴』や『豊臣』を名乗らせることで、敗者のメンツを保たせつつ、実質的に豊臣の支配下に組み込む『擬似家族化』を徹底させていたんです」(歴史ジャーナリスト)

この「名前の魔力」にかかったのは、地方の小大名だけではない。驚くべきことに、あの徳川家康や伊達政宗といった後の天下人や有力武将たちも、一時期は公的に「豊臣」や「羽柴」だったのである。

「当時の公的な名簿を見れば一目瞭然です。天正16年の『聚楽第行幸』の記録では、家康は『羽柴江戸中納言』と記されている。右を向いても左を向いても羽柴だらけという、異様な光景が広がっていた。これは新興勢力の豊臣が、源氏や平氏といった伝統ある名門大名に『豊臣ブランド』を強制的に上書きし、格付けを完了させたことを意味している」(古文書研究家)

名門大名にしてみれば屈辱のはずだが、それを「名誉なこと」として飲み込ませる絶妙な匙加減こそが、実務責任者・秀長の真骨頂だったわけだ。

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「カスタマーサポート」の死が招いた豊臣崩壊 1591年の秀長逝去が転換点に

だが、この魔法のような統治システムも、一人の男の死によって崩壊へと向かう。1591年、当の秀長が死去したからだ。

「秀長は、ブランド価値を維持するための『カスタマーサポート』兼『リスクマネージャー』だった。彼がいなくなった途端、秀吉のワガママだけが暴走し、大名たちは『なぜ農民上がりの名前を名乗り続けなきゃならないんだ』と、ブランドへの不信感を爆発させた。言うならば、秀長の死こそが、豊臣グループから有力加盟店(大名)が次々と離反するきっかけとなったのです」(前出・歴史ジャーナリスト)

豊臣政権の屋台骨だった秀長。彼が遺した「平和」の裏には、名前という名の冷徹な支配の鎖が張り巡らされていたこともまた、事実なのである。

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