実は「戦国一の平和な領国」説も…秀長が戦乱の世に魅せた“奇跡の統治能力”

家臣団の対立をまとめた調整力

また、秀長の評価を高めているもう一つの理由が、家臣団における調整能力だ。豊臣政権では武断派と文治派の対立がしばしば問題となったが、秀長は間を取り持つ能力がずば抜けていたのだ。

「行政官として知られる石田三成と、武闘派の加藤清正らの関係は、まさに豊臣政権における対立の象徴で、よくよく角突き合わせる場面があった。ところが、こうした対立の中で、秀長は秀吉に次ぐナンバー2として両者の間を取り持つ役割を担ったとされる。武勇一辺倒ではなく、政治的なバランス感覚を持った武将だったのです」(前出・戦国史研究者)

戦国武将といえば、華々しい合戦での活躍や、ライバルと争う姿が語られがちだが、秀長の評価はむしろ「戦わない政治」にあったといえる。戦国の混乱の中で、比較的安定した領国を築いたこと。商人や町衆と共存する統治を行ったこと、そうした実務能力こそが、秀長の真価だったのかもしれない。

『豊臣兄弟!』の劇中では、豪放な兄・秀吉を支える冷静な弟として描かれる秀長。戦国の世に「安定した領国」を築いたこの男の静かな実力が、いまドラマの盛り上がりとともに改めて注目されているのである。

【関連】【豊臣兄弟!トリビア】実は「豊臣」は秀吉が「創造力」と「政治力」で勝ち取った“新ブランド”だった!?