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明石家さんまに諭された芸バーの開店〜島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

1980年代初めに漫才ブームが起きて、B&Bも一気に全国区になった。ブームが終わって、仕事が少なくなった時期に、いろんなことをやりましたね。

当時、自宅のあった埼玉県・所沢で『まぼろし軒』というラーメン店を開きました。開店初日は記念で半額にしたら、たけしが深夜ラジオで「洋七の店のラーメンはタダらしいぞ」と間違った情報を流してしまって、700人くらいの行列ができ、パトカーまで出動する騒ぎになりました。

他にも、六本木で「芸バー」を開いたことがあるんです。その頃、吉本は東京に専用の劇場を持っていなくてね。7~8人いた俺の弟子たちに芸を披露する場をつくってあげたかったんです。やはり、人前でやらないと芸は上手くならないですから。「ゲイ」ではなく、あくまで芸を披露する「芸バー」ですよ。

それをワイドショーが勘違いして、洋七さんのオカマバーを取材したいと連絡してきたんです。当日、俺らは全員女装して、きっちり化粧をして、オカマバーみたいに「ママです」と冗談で取材に応じたんです。

それがワイドショーで流れてね。どこかで聞きつけた明石家さんまが、『オレたちひょうきん族』のプロデューサーと一緒に店に来て、「兄さん、お願いですからそんなこと止めてくださいよ。オカマにならんでもいいでしょ。金ならあげますから」と直訴するんです。ワイドショーの取材を受けた後、3日間だけサービスとして、ギャグで女装しただけなんです。「だからギャグ、やって」とさんまに言ったんですけどね。

さんまはほとんど酒を飲まなかった

すると数時間後、今度はたけしが来て「ヤメロ、バカヤロー! 恥ずかしいじゃねえか。オカマになることないだろ」って怒ってね。「だからギャグ、やって言ってるやん」と説明しても「バカかお前は。口紅取れ! カツラはずせ! 金に困っているならあげるからよ」と、さんまと同じことを口にしてね。

女装したまま、たけしに怒られながら、口紅をティッシュで拭いて、カツラを取って、ドレスを脱いで、ブラジャーもはずしました。そうは言いながらも、2人とも心配してよく店に来てくれましたね。結局、店は4カ月くらいやりました。

さんまとは、5歳離れているんです。俺たちが『笑ってる場合ですよ!』の司会を務めていたとき、さんまは木曜日のレギュラーだったんです。同じ吉本にいたけど、昔は、さんまはほとんど酒を飲まなかったから、飲みに行ったのも数えるくらいしかないんです。いまは多少飲むらしいけどね。さんまは、間寛平や村上ショージ、Mr.オクレなどのグループといることが多かった。

やっぱり、俺みたいな酒飲みは酒飲む芸人と仲良くなりますよ。だから、たけしといつも一緒にいたしね。でも、たけしも俺もベロベロになるまでは飲まない。酒癖が悪いのが嫌いなんです。そういうところも、たけしと合うんでしょうね。

人を笑わせる仕事をしてるから、飲みに行ってもクラブへ行けばホステスさん、寿司屋へ行けば大将や周りのお客さんをずっと笑わせているだけですよ。紳助にしてもそう。酒癖悪いところは見たことがないし、ずっと笑わせているんです。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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