「野球マンガを世界に届けたい」野球マンガ評論家・ツクイヨシヒサが語る“広大すぎる夢”【死ぬ前にやっておくべきこと】

野球マンガ評論家・ツクイヨシヒサ(C)週刊実話Web

村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前にやっておくべきこと」。野球マンガ評論家・ツクイヨシヒサをインタビュー(後編)。野球マンガに対する熱い思いをたっぷり語っていただいた。

評論家としての転機となった“タッチ論争”

季節はちょうど桜の咲き誇る春真っ盛り。東京・市ヶ谷のお濠端、花見の席でのことだった。

知り合いの出版人が集まる宴席で、話題はあだち充『タッチ』の話になった。

「あれは単なる恋愛マンガだろう。語るべきことなんて大してないよ。顔だって全部同じだしね」と軽く笑う年上の編集者に、心の中で仮面を被っていた反骨の魂がカモンと目覚めた。

「あのね、顔が同じだとレベルが低いって言うなら、能の舞台も文楽の芝居もみんな低俗になってしまうでしょう。あだち充が表情を描き分けないのは、それこそ能で言うところの“中間表情”を表現しているからですよ。喜怒哀楽のどれでもない表情だからこそ、読者が自分自身の感情を投影できる。野球マンガ作品として見ても、明青学園対須見工の決勝は歴史に残る傑作ですよ。野球ならではの繊細な駆け引きや勝負のアヤが幾重にも積み上げられた構成は、何度読み返しても飽きることがない」

どうせ酒の席での戯言、誰も気に留めまいと、一気にまくし立てていた。が、その編集者からは実に意外な言葉が返ってきた。

「分かった、分かった。じゃあ、ツクイくんはそれを原稿にして持ってきなさい」

こうして2009年に生まれた一冊が『あだち充は世阿弥である。』(飛鳥新社)。ツクイが「野球マンガ評論家」という看板を掲げる、直接の契機となった本だ。

「どこにも属せなかった僕が、ようやく自分の足で立てそうな場所を見つけた感じというか。結局、王道だろうがサブカルだろうが、みんなが面白いと感じて魅了されるものには、必ず理由があるんですよ。僕はそれを自分なりに言語化しようと思っているだけ。ただ、野球マンガはあまりに日本人の生活に馴染み深い存在だから、これまで大半の人が、さほど掘り下げて考えてこなかったんだと思う。そういう意味では、僕のやっている活動というのは、柳田國男の民俗学とかに近いのかもしれない」

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