「協調性ゼロの天邪鬼」だった男が“マンガと野球”に人生を賭けた理由【死ぬ前にやっておくべきこと】

ツクイヨシヒサ新刊『野球マンガ学概論~その歴史と表現について~』4月17日、小学館から発売予定

過酷な編プロで鍛えられた“生きる力”

ツクイは高校での経験がなければ、野球マンガなど絵空事と冷笑するだけの人間になっていたかもしれない。

やがて大学生になり、心温まる作品を世に広めたいと「絵本」の編集者を志した。だが、この時代はそもそも採用枠自体がない。とりあえずは編集業に就かねばと、面接を受けたファッション誌の編集長から「面白い奴だから遊びに来い」と言われたことを真に受け、たびたび編集部を訪れていると「本当に何度も遊びに来る奴は珍しい」と気に入られ、紹介された編集プロダクションに就職することになる。

新宿のマンションの一室で、社長と先輩が一人という3人所帯がツクイの修行場になった。使い走りで買ってきたコンビニ弁当の温度で、いきなり深夜に怒鳴り合いが始まるような、風通しのよすぎる職場。ツクイはそこで、本づくりのノウハウをぶっつけ本番で学んでいった。3年が経った頃、3人だった会社は約10倍の人数に膨らんでいたが、胃潰瘍に倒れたことをきっかけに、ツクイは激務の地を卒業した。

「フリーになってからも何でもやりましたよ。雑誌や書籍だけじゃなく、幼稚園のパンフレットから富裕シニア向けの会員誌まで、本当に何でも。村上春樹が言うところの“文化的雪かき”って、こんな感じなのかなと。誰かがやらなきゃいけないけど、別に僕じゃなくてもいい仕事。でも僕はそれをずっと受け身の練習だと思ってたから。柔道でもレスリングでも、達人になるためにまず覚えなきゃならないのは受け身でしょう。どんな球が飛んできてもケガしないという自信があれば、いつか自分の打席が回って来る。その間も、ずっと自分が好きなものは追い続けてたからね。歴史の企画なら歴史マンガに絡め、車のページなら車マンガを誌面にねじ込む。だけど30を過ぎた頃に先輩ライターから言われたんですよ。『40過ぎて何でもできるは何もできないのと同じだ。今からエッジを立てておけ』と」

 (後編へ続く)

「週刊実話」4月23日号より