「専門家がいないなら俺がなる」珍そばを追う“富士そばハンター”なかやま誕生秘話

市ヶ谷で出会った「肉トマトそば」が人生を変えた

なかやまの瞳はかえしのようにどす黒く、キラキラと澄んでいた。初手で怪物を掴んでしまった自虐と、12年も一緒に歩んできてしまった諦めを、すべて昇華しきったような美しさだった。

富士そば。その中の、一般メニューではない、”珍そば”という深淵。狭すぎて誰も気づかない。深すぎて底が見えない。絶海の孤島に生まれ落ちていたことにまだ気づかない富士そば探偵団は2014年、ついに道なき登山道を歩みはじめた。

「富士そばが好きだったわけでも全然なくて。ただ誰もいないブルーオーシャンがそこにあったという短絡的かつ不純な発想です。ファンブックを企画した際に上司に言われた専門家に『俺がなればいいじゃん』と思ってしまったのも心のどこかにあったんでしょうね。イチから富士そばのライターになるからには、まず一周しないと始まらないと思い、全店制覇の旅に出ることにしました。そこで出会ってしまったんです」

ある日、何気なく入った市ヶ谷の店で、見たことのないそばに遭遇する。
「冷たいそばの上にトマトピューレと肉が乗っている。『肉トマトそば』。よくこんなもの出したなと思って食べてみたら、衝撃でした。味はまずくはない。うまいのかもしれない。ただ、確実なことは、面白かった」

誰が、何を考えてこれを作ったのか。どうしてチェーンの立ち食いそばが、こんな実験的なものを出せるのか。考えれば考えるほどおかしい。これは”珍そば”だ。なかやまは興奮が醒めやらぬうちにブログ『富士そば原理主義』を開設。そこからのなかやまは、富士そばのさらなる深淵、珍そばの収集に明け暮れる。

「全店制覇を達成したのは1年半後。”富士そばライター”を名乗れると思ったんですけどね、2年目で気づくんです。富士そばの、さらにニッチな珍そばに詳しくても仕事にはならない、と。でも辞めようともならなかったんです。『これは趣味なんだ』と、仕事と切り離した瞬間から、もっと自由になれた気がしました」

辞める理由もなかった。30代前半のなかやまには時間だけがあった。ライターの仕事は順調に軌道に乗り始めていたが、仕事以外の時間のほとんどを富士そばに使い、ブログやSNSに獲得した珍そばを遺していく。その収集は一銭にもならなかったが、何かとてつもないものを積み上げている予感だけはあった。

「お金とかじゃない。恋愛みたいなものでしたよ、あの頃は。とにかく夢中で、富士そばのことしか考えてなかった」

その熱狂がピークに達したのが’19年。新宿三光町店が、ある珍そばを世に放った瞬間だった。
 (後編へ続く)

取材・文/村瀬秀信

「週刊実話」3月26日号より