【球界オフレコ武勇伝1】昭和プロ野球 キャンプの夜に番記者が見た村山実の全裸踊りと野村vs鶴岡の“絶縁現場”

野村克也と鶴岡一人の絶望的な溝

昭和のプロ野球は決して仲良しグループではなかったが、あまりに関係がこじれてしまい修復不能になってしまうことも多々あった。そんな瞬間を垣間見るのもキャンプならではだ。

新人時代に担当した南海ホークスは、人間臭くまさにそうしたエピソードの宝庫だった。野村克也が選手兼任監督として君臨し、挨拶に行った筆者に対し、「スポニチか。またワシの足を引っ張りに来たんやな」と警戒心剥き出しだった。

某年の和歌山・田辺キャンプでは、その野村と南海OBでスポニチの専属評論家をしていた鶴岡一人元監督の強烈な確執を目の当たりにした。

先輩記者によれば、野村が三冠王を獲得し、鶴岡監督(当時)の自宅に挨拶に赴いたところ、「お前ひとりの力で獲ったんとちゃうぞ!」と、祝福どころか門前払いを食らったことまであったという。

キャンプ中の野村は早朝からグラウンドにやって来て、ベンチ前に置かれたドラム缶の特製火鉢の前で暖を取るのが日課だった。これは記者にとって監督と2人きりで会話できる絶好のチャンスだった。

「おはようございます。今日、(鶴岡)親分がうちの評論家として取材に来られますよ」

「……そうか」

野村は呟くように答えたきりだった。しばらくして選手たちが体操を終えた頃、鶴岡が球場にやって来た。

「監督、親分が来ています。やはり監督の方から、ご挨拶に行かれるべきです」

若輩の身は承知で進言したが、野村は重い腰を上げようとしない。

「行きましょう」

渋る野村の手を引いてネット裏の部屋まで連れて行ったが、半開きのドアをノックした瞬間、隙間から野村の顔を見つけた鶴岡が烈火の如く怒鳴り散らした。

「来んでええ! 吉見も余計なことせんでええ!」

激しい音を立ててドアが閉められると、野村が小さくボヤいた。

「やっぱり、行かん方が良かったんや…」

鶴岡も大人げないが、野村もそうされるだけのことを過去にしていたことを後で知った。

【一部敬称略】取材・文/スポーツジャーナリスト吉見健明

【球界オフレコ武勇伝2】に続く

『週刊実話』3月19日号より

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。