「隣の声が地獄」か「最高の共鳴」か。King Gnu井口理“合唱推奨”が突きつけたライブ文化の分岐点

海外では「歌わないほうが失礼」という文化も根強い

視線を海外に向けると、風景は一変する。欧米や南米のスタジアムライブでは、観客が最初から最後までフルボリュームで歌う文化が根強い。アーティストがマイクを向けるまでもなく、数万人の合唱が空気を震わせる。

そこでは「隣の声がうるさい」という不満はほとんど存在しない。全員が“それ以上に歌っている”からだ。

海外のファンにとってライブは「音を確認する場」ではなく、そこに集まった全員で“熱狂を創り上げる儀式”に近い。静かに聴くことは、むしろ「楽しんでいない」というメッセージになりかねないという指摘もある。

この文化的な差を知ることは、日本のライブ空間に漂う“息苦しさ”の正体を考えるヒントになる。

ライブは誰のためのものか。揺らぐ「観客の在り方」

もちろん、日本国内でもアーティストによってスタンスは大きく異なる。静寂の中で音響を届けたい現場もあれば、観客を煽り倒して声を出させることでライブを完成させる現場もある。

しかし、ポップミュージックの頂点に立つアーティストのライブでは、多様な“理想”を持つファンが混ざり合う。個人的な幸福感と、共同体としての幸福感。井口理が「それ以上に歌え」と明確に意思表示したことで、この相反する願いの折り合いはますます難しくなっている。

井口の言葉は、観客を受け身の消費者から、表現の一部を担う能動的な参加者へと引き上げるロック本来のダイナミズムを提示した。

しかし、その熱狂の隣には、一筋の歌声を静かに守りたいと願う誰かが確かに存在する。ライブにおける「マナー」とは、アーティストの意向に従うことなのか、それとも周囲の観客への配慮なのか。

転換期を迎えた日本のライブ文化において、私たちは今、改めて「音」との向き合い方を問われている。