「松坂大輔の快投で決意」スポーツ記者・樫本ゆきが語る“仕事と人生の転機”

退社を決意した1998年の夏

『輝け甲子園の星』の読者ページ(C)週刊実話Web

ユキネーの情熱的かつ親身になって話を聞いてくれる取材姿勢に多くの選手たちが心を許してくれた。その結果、感謝の手紙や進路が決定した報告をくれたり、松坂大輔や和田毅など、卒業から何十年と経った今になっても、人生の節目節目で報告をくれる選手もいる。

充実していた。「こんな日々が一生続けばいいのに」。本気で感じていたユキネーは、この松坂フィーバーとなった’98年、夏の甲子園を最後に退社を決意する。

「その夏の前の6月に遠距離だった恋人にプロポーズをされていたんです。迷いました。彼は熊本だったので、結婚したら会社は辞めなければいけない。ずっと迷いながらこの夏の甲子園に入ってね。マツのあの快投を見せつけられて…決心がついたんです。もう甲子園において、これ以上の幸せはない。結婚しようって」

夏の後、松坂と後藤武敏に結婚と記者を辞めることを報告すると、驚きすぎて「おめでとう」も何も言えずに固まる2人の顔を妙に覚えているという。

翌年の春、ユキネーは会社を退社して熊本に嫁いでいった。高校野球と離れ、フツーの主婦として第2の人生を過ごそうと決意をしていたのだが…ばってん、周りは放っておかない。

「そこで終わっていればいい話だったんですけどね(笑)。結婚した年、国体が熊本であったんです。それで『熊本にいるなら交通費もかからないし書いてくれ』となりまして。そこからフリーのライターで25年。今に至っています。あの覚悟はなんだったんだ(笑)。でも夫が転勤するたびに各地で野球を取材し続けて、いろんな野球に出会えました。

私は甲子園に憧れて、『甲子園の星』のときは、甲子園がすべてだと思ってノリノリで取材していたんだけど、今ではそのときの自分を殴りたいですね。地方大会を取材したら、こっちが主役じゃないかと思えたんですよ。少人数野球部や、雑誌に名前も出ない野球部にこそ見るべき野球はある。そのことに気がつくことができた。これから自分がやるべきことは、こういう野球を伝えること。甲子園のスターも、名もない無名校の選手も物語があることは同じ。彼らに出会い、伝えられることは、とても幸せなことなんだろうなと思っています」

元甲子園の星のユキネーは現在、その名を自分からは名乗っていない。野球ライター樫本ゆきとして、3000人以上にものぼる球児たちの唯一無二の〝元アネキ〟として、この先も球児たちの物語を紡いでいく。
(完)

取材・文/村瀬秀信

「週刊実話」3月5・12日号より