【豊臣兄弟!トリビア】戦国きっての“イケメン”だった軍師・竹中半兵衛の美貌とインテリジェンス

秀吉・秀長兄弟が惚れ抜いた「理想のフリーランス」

ちなみに、信長からの誘いすら蹴り、隠居していた半兵衛を口説き落としたのが、若き日の秀吉・秀長兄弟だ。有名な「三顧の礼」は後世の創作という説もあるが、秀吉が熱望した事実は揺るがない。

「半兵衛は、組織に縛られることを嫌った。秀吉に仕える条件として『織田家ではなく、あくまで秀吉個人に仕える』という、現代の専属コンサルタントに近い契約を結んでいたとされています。理想を語る兄・秀吉と、実務をこなす弟・秀長。この二人のバランス感覚に、半兵衛は自分の知略を預ける価値を見出したのでしょう」(前出・歴史ライター)

36歳の散り際が見せた天才の美学

しかし、天は彼に長寿を与えなかった。天正7年(1579年)、播磨(現在の兵庫県)の三木城攻めの最中に肺の病に倒れ、36歳の若さでこの世を去る。

「秀吉が『療養せよ』と強く勧めても、半兵衛は『戦場で死ぬのが武士の本懐』と拒み抜いた。死の瞬間まで、自身のインテリジェンスが衰えていないことを証明したかったのかもしれません。菅田さんがこの壮絶なラストシーンをどう演じるのか、ファンは今からハンカチの準備が必要かもしれません」(テレビ誌記者)

「容貌、婦人の如し」と謳われた美男子の内側には「冷徹な知略」と「熱い武士の魂」が秘められていた――大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、竹中半兵衛という不世出の天才を通じて、「義」と「真の賢さ」とは何かを問いかけるかも。

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