【豊臣兄弟!トリビア】残虐と恐れられた織田信長が敵将の髑髏を盃にした“本当の理由”

根底にあった贖罪の念

『浅井三代記』は江戸時代のベストセラーであり、髑髏の盃のエピソードは信長が苛烈で残虐であったというイメージを多くの人々に植えつける結果となった。現在でも史実として語り継がれることが多い逸話であるが、これは創作であるという説も存在する。

ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが記した『日本史』によると、信長は食事に対して節制を心がけており、酒を飲むことはほとんどなかったという。フロイスは信長と親交があった人物であり、『日本史』は信長の死後から長い年月が経過して作成された『浅井三代記』よりも信ぴょう性が高い史料といえる。そのため、家臣と共に酒を飲み交わすことはありえないというのだ。

ただ、信長が髑髏を盃にしたのは元旦とされているため、新年を祝賀する儀式という意味合いで、普段は口にしない酒を飲んだ可能性は考えられるだろう。

では、もしこの逸話が仮に事実であった場合、なぜ信長はそのような行為をしたのだろうか。ただ戦果を家臣に誇示するためという説もあるが、有力視されている説が「自らが討ち取った敵将を弔うため」というものである。

戦国時代の武将たちには、討ち取った敵将の遺骨を数年間供養することで、成仏させるという風習が存在した。髑髏に装飾が行われていたのは、自らと戦った敵将を讃えるためであり、家臣たちと酒を飲み交わすことで、死者の霊魂が明るい気持ちで成仏できるよう配慮したのだという。

また、自らの裏切りによって妹の結婚相手を自害に追い込んだことに、贖罪の念もあったのかもしれない。

仮に上記の説が真実であった場合、信長は後世のイメージとは裏腹の、敵対者に敬意を払う武士道精神を持った人物であったということになる。

週刊実話増刊『禁断の戦国史』より抜粋