帝銀事件から78年 平沢貞通は真犯人だったのか? 死後再審を阻む「時の壁」と「冤罪の闇」

19次再審請求では供述&筆跡鑑定が揺らぐ新証拠も

平沢の三回忌となる’89年5月、養子の武彦氏が東京高裁に申し立てた第19次再審請求(死後再審)には幾つもの新証拠が出されたが審理は長期化。判決に至らぬまま武彦氏の死去によって2013年に打ち切りに。別の遺族が請求人となり起こされた20次請求も昨年1月、やはり請求人の死亡で終了した。

本人死亡後の死後再審は配偶者、直系の親族や兄弟姉妹しか請求できず弁護団は現在、再度の請求を模索しているものの新たな申立人が見つかるメドは立っていない。

発生から今月で’78年経ち、時の壁が立ちはだかる帝銀事件。だが今なお平沢犯行説への疑問の声は根強く、帝銀事件は翌’49年夏の下山・三鷹・松川事件などとともに占領下の大きな謎として残っている。

冒頭のトークイベント「帝銀事件と冤罪の闇」が開かれたのは19次再審請求が継続中だった2009年1月26日。事件から’61年となるこの日、武彦氏のほか事件の関係者や研究者が一堂に会し平沢犯行説にさまざまな側面から疑義が示された。

関係者が相次いで世を去り再審請求の維持が困難となっている現在から振り返れば、重層的に事件を再検証する事実上、最後の機会だったと言える。

連続ピストル射殺事件の永山則夫や映画『ゆきゆきて神軍』奥崎謙三の弁護人も務めた反骨の弁護士、遠藤誠氏(‘02年死去)が主任弁護人を担った第19次再審請求。弁護団は数多くの新証拠を掘り起こした。

その中には平沢が犯行を自白した56歳時には重い脳の病である「コルサコフ病」だったと推測され、供述の信用性は到底認められないとする鑑定書や、有罪の決め手とされた3通の自白調書末尾の署名がいずれも平沢と異なるとする筆跡鑑定など、事実とすれば死刑判決が根底から揺らぐ内容も少なくなかった。

そして最大の謎が犯行に使用された毒物の特定だ。死刑判決は市販の青酸カリだとしたが、異論は消えず19次請求でも最重要の争点となった。

【帝銀事件の闇・後編】に続く

取材・文/岡本萬尋