三冠王・落合博満を驚愕放出! ロッテの台所事情に付け込み星野仙一が仕掛けた“衝撃トレード”

【公式】落合博満のオレ流チャンネルより

【球界伝説のトレード2】
1993年オフにFA制度が導入されてからというもの、トレードが少なくなった。だが、プロ野球史を振り返ってみると、ストーブリーグを沸かせる大物選手のトレードがたくさんあったのだ。そこで、熱烈なプロ野球ファンのために、球史に残る大型トレードとそれにまつわるエピソードを振り返ってみよう(全2回中の2回目)。

球界伝説のトレード1】を読む

前代未聞の「1対4」のトレード

◆落合博満(ロッテ)⇔ 牛島和彦(中日)/1987年
トレードの主役は、その年、史上最多となる3度目の三冠王を獲得したロッテの落合。ただ球団はこの年、チーム成績も観客動員も伸び悩む中、圧倒的な個人成績を残す落合の年俸のやり繰りに頭を抱えていた。

一方、落合は慕っていた稲尾和久監督が解任され、「稲尾さんのいないロッテに自分はいる必要がない」と発言。退団の意向を示したが、この機を逃さなかったのが中日の新指揮官に就任したばかりの星野仙一監督だった。

主力選手であっても交換要員として受け入れる姿勢を見せ、ドラフト1位で中日に入団以降、投手陣の屋台骨を支えていた牛島を含めた「1対4」のトレードを敢行した。

このトレードで中日の主軸となった落合は、2年目の’88年に勝利打点と最高出塁率のタイトルを獲得する活躍で、四番打者として6年ぶりのリーグ優勝に貢献。以後、各2度の本塁打王、打点王のタイトルを獲得した。

一方、牛島もロッテ移籍1年目に24セーブで最優秀救援投手賞を受賞。これが、プロ入り初のタイトルだった。

さらに翌年も最多セーブのタイトルを勝ち取り、1989年には先発に転向し12勝を挙げた。ちなみに、牛島と一緒にトレードされた上川誠二は正二塁手として活躍。同じく投手の平沼定晴は’89年に与死球から清原和博(西武)と大乱闘劇を演じた。

新天地でも活躍し“WINWIN”トレードに

◆西本聖・加茂川重治(巨人)⇔ 中尾孝義(中日)/1989年
西本は、江川卓が1987年シーズンを最後に引退し、自分を燃え立たせるライバルの存在がいなくなったせいか、翌’88年は4勝と落ち込んだ。

コーチとの確執もあり、その年のオフに、’82年セ・リーグの捕手として初めてMVPとなった中尾との交換トレードで中日へ。移籍1年目の1989年に巨人時代の最高18勝を上回る自身初の20勝、最多勝と大活躍した。

一方の中尾は、星野仙一監督の就任で外野に回り、それでも捕手へのこだわりを捨てきれずにいた。そのため、トレードを告げられて涙を流したが、巨人への移籍で再び捕手として活躍することに。

高い素質を持ちながらくすぶっていた斎藤雅樹の好投を引き出すと、斎藤は2年連続20勝を挙げた。中尾は、斎藤の大投手への飛躍に大きな役割を果たした。’89年、’90年と巨人も連覇。中尾と西本は、そろって1989年のカムバック賞を受賞した。球史に残る好トレードだった。

平成最大の衝撃! リーグ優勝の立役者がまさかの放出

◆糸井嘉男・八木智哉(日本ハム)⇔ 木佐貫洋・大引啓次・赤田将吾(オリックス)/2013年
2012年に栗山英樹監督の下、パ・リーグ優勝を果たした日本ハム。糸井はチームの優勝に貢献しベストナイン、CS(クライマックスシリーズ)のMVPも獲得。4年連続打率3割をマークするなどチームの大黒柱だったが、契約更改で1000万円増の年俸2億円を保留。さらに翌年のポスティングでのメジャー移籍を申し入れ、認められない場合は国内球団へのトレードを訴えた。

この一件で、糸井を「近い将来出ていく選手」と見なした球団側は、翌年1月23日に突如オリックスとの大型トレードを発表した。この電撃トレードは、元チームメイトのダルビッシュ有も「糸井さん、トレードとか、ありえん」とツイートするほど、関係者やファンにも大きな衝撃を与えた。

当時31歳と働き盛りだった糸井はその後、首位打者1回、2016年には最高齢(35歳)での盗塁王、ベストナイン2度、ゴールデン・グラブ賞3度と活躍した。木佐貫も日本ハム1年目の’13年に9勝。大引は金子誠から遊撃レギュラーの座を奪取した。

1度トレードで移籍した選手は、移籍づくことが多い。木佐貫も赤田も3球団目であり、その後の糸井と大引はFAでそれぞれ3球団目の阪神、ヤクルトに移籍している。

最近は大物選手たちのトレードが激減しているが、トレードにまつわる「悲喜こもごも」の人間ドラマは、古き時代のプロ野球の魅力の一つだったと言えるだろう。