【豊臣兄弟!トリビア】住宅メーカーもあ然! 伝説の「墨俣一夜城」築城に秀長が持ち込んだ“驚愕の建築革命”

一夜城が放った戦意を喪失させる“凄み”

ちなみに、この「プレハブ工法」が近代史に登場するのは1920年以降のこと。それより350年以上も前に、この驚異的なプロジェクトを兵站と工兵的な視点から支えたのが、管理・遂行能力に秀でた弟の豊臣秀長(当時は木下小一郎)だった。

歴史ファンからは今も「彼がいなければ、上流での資材調達も大量の材木を滞りなく現地へ届ける輸送作戦も成立しなかったはず」との声が絶えないが、秀吉が現場の士気を高めるプロデューサーなら、秀長は資材調達から工程管理までを完璧にこなす最高執行責任者(COO)だったのだ。

実際、この築城が功を奏し、織田家臣団内での秀吉の評価を決定づけることとなった。同時に力攻めではなく、技術と物流で敵を圧倒するスタイルが「豊臣戦術」の原点となったのである。

軍事ジャーナリストが言う。

「しかも、この一夜城の真の“凄み”は、敵に『もはや勝ち目はない』と錯覚させた心理戦にある。建築技術がそのまま強力な兵器となった稀有な例でもあるのです」

一夜にして姿を現した城壁を前に、斎藤勢は戦意を喪失したというが、その裏には泥にまみれて図面を引き、川の流れを読み、膨大な木材を管理した秀長の献身があった。

ドラマで描かれる兄弟の絆は、戦国に登場した「プレハブ工法」という革命的なイノベーションによって、より強固なものとなっていくのである。