江夏豊の伝説、江川卓の「禁断トレード」…球界を震撼させた衝撃の“3大移籍劇”の内幕

「野村再生工場」に再生された2人の名選手

◆江夏豊(阪神)⇔ 江本孟紀(南海)/1976年
阪神のエースとして君臨していた江夏。そんな江夏を持て余していた阪神・吉田義男監督から懇願される形で南海・野村克也監督がトレードを受諾。

阪神からは江夏に加え外野の望月充、南海からは投手の江本と長谷川勉、池内豊、外野手の島野育夫による「2対4」のトレードが成立した。江夏、江本という両球団のエース同士を含む大型トレードは、ファンにも衝撃を与えた。

江夏は野村克也監督の下でリリーフに転向。南海移籍2年目の1977年に制定された「最優秀救援投手(パ・リーグ)」のタイトル第1号となり、以後「ストッパー」の地位を確立させた。

以後、広島、日本ハム、西武で「優勝請負人」として活躍し、野村監督は「野村再生工場」と呼ばれるようになった。

江本も阪神のエースとなるが、1981年に「ベンチがあほやから」発言で首脳陣を批判し、突如引退した。

過去をさかのぼっても極めて少ない「禁断のトレード」

◆小林繁(巨人)⇔ 江川卓(阪神)/1979年
1978年のドラフトで阪神は、前年ドラフトでクラウンライター(現・埼玉西武ライオンズ)の指名を受け入団を拒否し、1年浪人していた法大卒の江川を引き当てた。

だが、巨人はドラフト前日の「空白の1日」で江川と契約していたと主張。セ・リーグ事務局はこの契約を無効として江川の選手登録を却下。それに抗議した巨人はドラフト会議をボイコットした。

この問題はこじれにこじれ、日本中が注目する大事件となったが、最終的に当時の金子鋭コミッショナーの裁定で、阪神が江川を獲得した上で即日巨人にトレードすることとなった。

阪神が指名したトレードの相手はエースの小林。「悲劇のヒーロー」と言われた小林は「ジャイアンツだけには負けたくない」と、この年、巨人戦8勝(無敗)を含む22勝(自身初の最多勝)、防御率2.89という成績を挙げ2年ぶりの沢村賞を獲得。この活躍で、“宿敵”巨人を5位に沈める。小林は巨人で3年連続、阪神で5年連続2ケタ勝利のまま現役を引退した。

一方の江川は1年目は9勝に終わったが、2年目の’80年と翌’81年に最多勝のタイトルを獲得し、8年連続2ケタ勝利のまま引退。巨人がエース・小林を放出してまで欲しがるほどの怪物ぶりを発揮した。

ただ、何度も沢村賞を受賞する大投手になるだろうと期待された江川が、引退までに一度もその賞を受賞できなかったことは、なんとも皮肉な結果だと言える。

小林は通算139勝、江川は通算135勝。ドラフト指名に伴う、まさに悲喜こもごもの「人間ドラマ」を生んだ“トレード”だった。

【球界伝説のトレード2】に続く