今こそ知りたい! 豊臣秀長ってどんな人? 「兄・秀吉に匹敵する天才」と呼ばれた生涯

秀長存命なら豊臣家の没落はなかった

秀吉が天下人へと昇り詰めていくにつれ、その権力は絶対的なものとなり、周囲はイエスマンばかりになっていったが、その中で唯一、兄に対して「それはなりませぬ」と直言できたのが秀長だったと言われている。

「しかも秀長は、家臣団だけでなく、徳川家康や毛利輝元といった有力大名、さらには茶聖・千利休からも深く信頼されていました。彼は利害関係がぶつかり合う諸大名の間に入り、落とし所を見つける“調整の天才”だったのです」(同)

そのためか、「もし、秀長が長生きしていたら、後に豊臣政権を揺るがすさまざまな悲劇は起きなかったのではないか」とも言われている。そう言わしめるほど、彼の存在は政権の安定装置(ブレーキ)として不可欠なものだったのだ。

要は太陽のように派手で陽気な秀吉の背後には、常に冷静で温厚、そして誰よりも切れる頭脳を持った、月の化身のような弟がいたわけだが、その秀長は豊臣政権が絶頂期を迎えていた天正19年(1591年)に病に倒れる。そして彼の死を境に、豊臣家は急速にバランスを崩していくのだ。

「秀長の死からわずか数カ月後に、秀吉は千利休に切腹を命じ、翌年には朝鮮出兵を開始。さらに後継者争いから甥の秀次を処刑するなど、暴走が止まらなくなくなっていった。多くの歴史家は『秀長さえ生きていれば、豊臣の天下はもっと長く続いたはず』と口を揃えるが、この“歴史のIF”こそが、秀長の有能さと偉大さを物語る何よりの証明と言えるのです」(歴史ライター)