日本UMAの元祖「ツチノコ」は実在したのか? 徳川時代の百科事典に登場した異形のヘビの謎に迫る

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【大江戸怪奇譚1】
時代が安定して人口が増え、人々の活動範囲が広まった江戸時代は、実はUMA(未確認生物)の目撃例が激増した時代でもあった。江戸時代に記された書物を手掛かりに、この時代に出現したUMAの情報を紹介する。

胴体がずんぐりむっくり

まずは、現在でも存在が取り沙汰されているUMAから見てみよう。日本を代表する最も有名なUMAといえばツチノコだ。

ツチノコは古くから「野槌(のづち)」の名称で幻のヘビとして扱われていた。頭と尻尾は小さいのに対し、胴体がずんぐりむっくりとし、形状がワラを叩く槌に似ているため、この名がある。

「野槌蛇は深山の木の洞(うろ)に生息している。大きい個体は太さが15センチ、長さが1メートルもある。頭と尻尾が同じ太さで、尻尾は尖っていない。体型が『槌』に似ていることから、野槌と呼ばれている。大和国(現在の奈良県)吉野での目撃例が多い。口が大きくて、人の足に噛みつくことがある。下り坂での移動は速いが、上り坂での移動は遅い。遭遇したら登板して逃げるが良い」

以上は、江戸時代に編纂された日本最初の百科事典『和漢三才図会』の中の「野槌蛇」の記述だ。

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胴体の太さは30センチ

同書は105巻81冊に及ぶ大著で、和漢に関する古今の事物を和名・漢名・絵図を入れて解説している。編著者は寺島良安という、江戸時代中期を代表する知識人にして、幕府お抱えの漢方医である。

大坂城に出仕し、公務をこなすかたわら、広く文献に当たって『和漢三才図会』をはじめとする著作を著した。

幕末期に信濃国(現在の長野県)の地誌として編纂された『信濃奇勝録』にも、野槌に関する記述がある。

生息場所は馬籠宿と妻籠宿のあいだにある一石峠。出没時期は8月。個体数が少ないのか、目撃例は極めて稀まれだという。大きいもので長さ40センチ、胴体の太さは30センチもあるそうだ。

「人に害をなすことはない」と明記されており、編著者自身も「『和漢三才図会』の野槌と同じだろうか」と疑問を呈しているが、『和漢三才図会』と『信濃奇勝録』の記述から、通
常の蛇とは体型の異なる異種の蛇が、一定数生息していたことは確実だろう。

野槌に関する記述は、『北越奇談巡杖記』にも「槌子坂の怪」という項で記されている。

【大江戸怪奇譚2】へ続く

週刊実話増刊『未確認生物UMAの秘密』より一部抜粋