「平時だったら私が出馬することにはならなかった」政権を担う重責への自覚が乏しかった福田康夫の気質

総裁選で機能した「政権振り子理論」

一方で時折、短気な一面も垣間見せ、記者会見が長引いたり、記者の質問が厄介なものだったりすると、演壇を指先でトントンと叩き、イライラをあらわにすることもあった。しかし、まずは無難に、ことさら自分が前に出ることもなしの“解説官房長官”に徹していたのであった。

そんなさなか、降って湧いた安倍晋三の政権投げ出しである。長期政権も予測された安倍がわずか1年で政権を投げ出すと、福田は一転して次期政権への意欲を見せ始めた。

ここに来て、なぜか“変身”した福田は麻生太郎と総裁選を争うことになったが、当時の自民党内における派閥の大半が福田を支持。福田は総裁選を制した2日後、首相に指名された。

福田71歳、くしくも父親と同じ年齢での首相就任だったのである。

福田が首相に就任した直後、自民党ベテラン議員はこう言っていた。

「麻生は政治信条としては、安倍に近い。対して、福田は父親同様の“親中派”で、ハト派的な体質だ。結局、この体質の違いが勝負を分けた。すなわち、タカ派からハト派への政権移動で、これまでも自民党は苦境に陥ったとき、180度異質な政権、リーダーを立てて国民の目をくらましてきた。今回も“政権振り子理論”が機能した部分が強かった」

ちなみに「政権振り子理論」は、今時、タカ派の高市早苗がハト派の石破茂に代わって政権の座に就いたことでも、機能していたとみることができる。