創価学会と総選挙の“裏”《前編》菅義偉首相の豹変~ジャーナリスト山田直樹

菅義偉首相と創価学会には因縁浅からぬ関係がある。今を遡ること24年前、菅氏は横浜市議から転じて、初めての国政選挙に挑む。この選挙は、小選挙区制導入第一号。相手は現職の上田晃弘候補だった。

当時の公明党は、一部が新進党の中核を担っていた。そして、相手は創価学会幹部から議員に転身したバリバリのプロパーの上田氏。選挙を取材した筆者には、菅氏の「そこまで言うか」という演説が今でも耳に残っている。いわく、

「池田大作は人の仮面をつけた狼だ」

「創価学会を許せば、オウム(真理教事件)と同じことが起きる」

新進党は創価学会に手繰られている――。当時の自民党はそう断じ、1994~95年のオウム事件に乗じて激しい学会批判を繰り返した。新進党を構成するほかの母体政党でなく、公明党のバックにある創価学会を徹底的に攻めた。これは結果的に奏功する。初陣は、4551票の僅差で菅氏の勝利に終わった。

この選挙を境に、公明党内には「政権内部に入らないと、攻撃される」という危機意識が募り、1999年の小渕政権で自由党とともに連立入りを果たした。

「池田大作名誉会長の意向があったからです。菅さんは二度目の選挙で早々と学会サイドと手打ちしました。菅さんの謝罪は一度や二度ではありません。そういった政治家が総理大臣になる。この時、主なやり取りは学会の神奈川県本部でしたが、今は私たちレベルよりずっと上。この先、菅さんは『公明党ではなく、創価学会の言うことは聞く』スタンスであるのは間違いない」(学会本部関係者)

コロナ禍で「創価学会」の宗教活動の根幹が揺らぎ始めた

創価学会側のカウンターパートは佐藤浩副会長で、反学会グループからは怨嗟の対象となっている人物だ。この人物評に関しては、次回で詳しく触れるとして、創価学会の〝戦果〟をここで簡潔に述べておく。
  • 消費税の軽減税率導入
  • コロナ禍での特別給付金全国民一律10万円支給
  • 難行が予想された北海道知事選での保守系候補の勝利
――等々、ここぞという政治局面で公明党を動かし、安倍前首相に要求を容れさせてきた。

かつて創価学会による「出版妨害事件」で、自民党の田中角栄幹事長(当時)に泣きを入れていた状況とは異なり、「学会の主張を自民党を差し置いて安倍首相(当時)直結で認めさせるレベル」にまで達している。もちろん、安倍前首相を動かしたのは、菅官房長官である。

ところが、コロナ禍で創価学会の宗教活動・政治活動の根幹が揺らぎ始めた。感染症という難敵は、仏法では勝てないのだ。創価学会の足下は、いったいどうなっているのか?

9月に会った知己の創価学会婦人部中堅活動家には、異変が起きていた。

「これを見てください」

そう言って差し出されたのは、彼女が愛用する学会員御用達の『文化手帖』(『さくら』というタイプ)である。これまで「内容をスキャンやコピーしなければ」という条件で何度も拝見してきたその手帖の紙面は、いつも極細ボールペンで書かれたスケジュールでビッシリ埋まっていた。ところが、今回は余白ばかり。

手帖の空白が示すように、その時の彼女は、学会活動へ大幅な制限が加わったあおりを受けて、暇になってしまったのである。

今年2月半ば以降、創価学会は会館使用の大規模集会から個人宅での座談会まで、自粛を決定した。布教活動でも、会員・非会員とわず、個人宅訪問が制限されるし、当節、固定電話でのアプローチは「振り込め詐欺」を疑われてヒット率は低い。もちろん、ラインなどSNSでの活動は盛んだが、ビデオ会議での座談会となると、

「一気にハードルが高くなって、デジタル格差が出てしまう。特に壮年部では難しいんです。逆に言えば、対面の座談会がいかに大きな役割を持っていたか、思い知らされた。壮年部より上(65歳以上)の多宝会メンバーにも、丁寧にスマホの操作法を教えてくださいと指示が出てるけど、私はゴメンです」(同)

戦時下の宗教統制時代を除くと、個別創価学会員に活動制限が加えられたことは歴史上ない。「非活」と呼ばれる、籍だけの会員は別として、学会員に暇を持て余す言葉は存在しない。それぞれには役職があって、職能別、あるいは年齢別(性別)で組織活動を怠ることはできないのだ。古参学会員に言わせれば、

「経験したことのない、何もできない時間が突然やってきた。自分から学会活動を引き算すると、めぼしいものがないことに気づいたんです」

学会は「1人で祈る宗教」ではない。日々の活動を報告し、点検して賞賛を浴びたり、叱咤激励を受けて成功体験を積み上げる宗旨である。会社組織のように、「在宅オンライン」へ舵を切ることは、とてもできない相談なのである。知己の青年部活動家も古参会員と同意見である。

6月の沖縄県議選では“選挙活動”ができず…

「学会組織という目に見える衣を脱いだら、いきなり虚脱感に襲われた」

このような組織状態ゆえ、学会員を選挙活動に駆り立てるには、極めて困難といえる。そして、それは約半年間続いた。ようやくピリオドが打たれたのは、10月1日。会館等の大型施設での集まり、マスク着用での訪問、相手の了解を取ったうえでの入室は原田稔会長の下命によりゴーサインが発せられた。いわば恐る恐るの活動再開といっていい。

では、実際に選挙活動を断念せざるを得なかったケースを検証してみよう。

具体的に表れたのは沖縄県議選(6月7日投開票)だった。現職と新人2人の立候補を「選挙活動ができない」と取り下げてしまったのだ。これで沖縄の公明党県議は2人となり、結果的に玉城デニー知事の与党側が不戦勝となった。沖縄県政の野党(自民党)は、普天間基地移転問題を抱える中、公明党を加えた過半数奪回を目指す選挙だったのに、だ。

「この段階では、公明党はコロナ禍での地方選挙延期を主張していて、立候補取り下げは自民党への同意を求めた揺さぶりとも取れる。しかし、延期には二階幹事長が譲らず、自公双方に恨み節が残る結果となりました」(政治部記者)

次なる異変が起きたのは、7月8日の創価学会方面長会議。創価学会の対政権部門を担う佐藤浩副会長が、党への根回しなどなく、いきなり「小選挙区候補予定者は個人後援会を作るべし」とぶち上げたのだ。

「実は、これはかなり前からシミュレーションしていた方向性でもあります」

と、明かすのは信濃町創価学会本部関係者。

「公明党は地方議員まで含めれば、個人後援会はそれなりに存在しているんです。例えば、出身校の同窓会母体の応援組織や資格関係(会計士や税理士など)の支える会とか、規模こそ小さいけれど後援会を持っている議員はそれなりにいます。形式的には学会組織つながりとは別ルートの応援団と言っていい。ただ、得票数はどんどん落ちている。国政選挙の度に、『議席は取ったが…』と溜息が出る状況に変わりはない。打破するには、候補者と支援者の一体感を再構築する必要があります。公明党議員が、『党の自立』などと言わないうちにタガを嵌める必要もある。学会選挙に身を預けるのではなく、もっと議員に汗をかいてもらうには、議員なりの努力の仕方があるだろうという狙いですね」

公明党票は、創価学会の力量を推し量る重要な指標だ。2005年の郵政選挙で比例区総得票数898万票をピークに、一時の持ち直しはあるものの、一貫して数が減っている。

特に大阪、東京などの参院選地方区での票の減りは激しい。創価学会は、都市型宗教と呼ばれて久しいが、その拠点での目減りが激しいのだ。

創価学会の主張を丸呑みする菅首相

「次の総選挙で気になる選挙区は、いくつもあります。北海道10区は、野党統一候補とのガチ。大阪の小選挙区3つに、あくまで『大阪都構想に反対する』として、自民党府連が保守系無所属候補を充ててくる可能性もある。11月1日の住民投票でノーが出た場合、この動きは加速するでしょう。国政では自公、でも、大阪は維新と公明タッグというねじれがある。しかも、維新は東京12区で対公明の候補を立ててくる。だから、創価学会員個々人に奮起を促すわけです」

日本の国政政党で個人後援会がないのは、共産党のみ。公明党もついに〝並の政党化〟したわけである。しかし、なぜ今なのか、それで選挙力がアップするのかという疑問は、創価学会会員自身からふつふつと湧いてくる。

「5万円以上寄附すると、政治資金収支報告書に氏名と住所が記載されてしまう。寄附する本人が、思い切って別の選挙区の特定候補を応援するケースも出てきます。そうなると、『どこそこの誰が創価学会員、あるいはシンパか』がバレバレになる。会社を経営するような資産家も会員にはいますからね。今までは、ボランティアで交通費などを負担して、選挙活動を行ってきました。これからは、5万円未満でも、寄附が求められるんじゃないか。後援会費という名目で、金集めがあるかもしれません」

このような吐露は、特に壮年部や婦人部の知り合いから異口同音で聞かされた。

1998年、竹入義勝・元公明党委員長は「回顧録」の中で『(公明)党と学会は放射線のような一方的関係であり、いずれ党が自立した国民政党になるべきだ』という主旨の記述を残している。さらに、その23年前、共産党と創価学会は「協定」を結び、相互に攻撃しない旨を約束している。

この時は、野党と野党の支持母体の協定だったが、竹入氏の願いとはまったく反対の方向へ創価学会の舵は切られた。

言い替えれば、「史上初めて、創価学会の主張を丸呑みする官房長官が、総理大臣になった」のだ。

反面、組織票を売りにする創価学会の選挙力は、大きな曲がり角に差しかかっている。

(後編に続く)

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