徳川埋蔵金だけじゃない! 戦国ロマンを掻き立てる豊臣秀吉と蘆名義広の“巨額財宝伝説”

信ぴょう性の高い「蘆名義広の埋蔵金」

福島県の中央に位置する猪苗代湖には、「蘆名義広の埋蔵金」が沈んでいるといわれている。天正17年(1589年)、磐梯山麓の摺上原の戦いにて、会津の蘆名義広は出羽米沢の伊達政宗に敗れ、若松城を脱出して常陸へ逃れようとした。

脱出は夜のうちに行われたが、一族郎党に加えて馬18頭分にも及ぶ金も持ち出していたため、途中で何者かに追われるかもしれない。そこで、義弘は猪苗代湖に金塊を沈め、荷を軽くしてその場を去ったという。

この話は葦名氏の筆頭家老手記などの文献にも記されており、埋蔵金伝説の信ぴょう性は高いとされている。

また、昭和初期には郡山の古物商が、埋蔵金について記した古文書を入手。地元の有力者と共に引き上げようとしたが、これを知った蘆名氏の子孫と裁判沙汰になってしまった。

さらに、地元の有力者とも金銭トラブルが発生するなどすったもんだの後、引き上げ計画はうやむやになってしまった。ちなみに猪苗代湖の水深は平均で50メートルと、そこまで深いわけではない。

それなのに現在まで埋蔵金やその痕跡が見つかったという報告は一切ない。猪苗代湖周辺には他にも、銭森長者や赤津の金鉱に関する埋蔵金など、複数の伝説が存在しているため、蘆名義広の埋蔵金もこれらが合わさって生まれたものかもしれない。

週刊実話増刊『禁断の戦国史』より一部抜粋