信長「池の水ぜんぶ抜く」VS秀吉「雷神&稲荷神を恫喝」 戦国武将が挑んだ史上最強の妖怪退治伝説!

雷神の加護と神の遣いを恫喝した豊臣秀吉

一方、織田信長の下で頭角をあらわし、本能寺の変の後に天下人までのぼりつめた豊臣秀吉。彼がここまで出世するに至った背景には、雷神の加護があったとする逸話がある。

秀吉が姫路城にいたころ、場内に大きな雷が落ちるという事態が起きた。雷は城内の榎を
真っ二つに引き裂いたが、その隙間に雷神が挟まっているのが見つかったのだ。

人々が恐れをなして近づけずにいたところ、秀吉は臆せず近づいて「雷は五穀の成長を助けるというが、なぜここに落ちたのか」と尋ねた。

すると雷神は「この榎の中に毒竜が巣食っており、このままでは人に仇なすことになるので成敗した。しかし、毒によってこの榎から動けなくなってしまった」と述べ、「天に返してくれれば恩に報いる」と助けを求めたのである。

そこで秀吉は人を集めて榎を割り、雷神を解放してやった。これにより、秀吉は天下統一を成し遂げることができたのだという。

また、秀吉には「稲荷神に対して脅しをかけた」という逸話も存在している。彼は正妻のねねとの間に子供ができなかったため、養女の豪姫を実の娘同然に溺愛していた。

しかし、豪姫は幼い頃から体が弱く、大病で伏せることも多かった。そこで多くの僧侶や神職の人々に原因を探らせたところ、なんと豪姫に狐が憑いていたことが発覚。秀吉は狐を神の遣いと崇めていた伏見稲荷大社まで足を運び、「豪姫に憑いている狐を退けなければ日本全国で狐狩りをする」と、書にしたためて恫喝したのだ。

これが功を奏したのか、豪姫の体調は回復したものの、それから半年後に秀吉は亡くなってしまったという。やはり神を脅すような罰当たりは、してはならないということだろうか。

週刊実話増刊『禁断の戦国史』より一部抜粋