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五代目山健組・西川良男若頭が死去…業界騒然! トップが現場不在の渦中で――

五代目山健組・西川良男若頭(C)週刊実話 無断転載禁止

「言葉にならない…」

ある組織関係者は、こう言って絶句した。6月6日未明、五代目山健組の西川良男若頭(六代目健竜会会長)が、兵庫県内の病院で息を引き取ったのだ(享年57)。

西川若頭は新型コロナウイルスに感染し、入院生活を余儀なくされていたという。家族との直接的な面会もままならず、コロナの陰性が確認されて以降も、悪化した持病の治療に専念。五代目山健組では、復帰が待たれていた。

「治療中に危篤説が飛び交い、他府県警も情報収集に奔走しとった。西川若頭の存在は、山口組の分裂問題にも無縁ではなかったからな」(ベテラン記者)

五代目山健組のトップである中田浩司組長は、一昨年12月に弘道会系組員への銃撃事件で逮捕、起訴され、勾留中の身だ。昨年7月には、拘置所から神戸山口組脱退の意志を伝え、五代目山健組は独立組織として活動。その中で新人事が断行され、ナンバー2に就いた西川若頭が実質のリーダーとして組織を統率した。

「2人は同郷の出身で、幼少期からの仲だ。組員のいないところでは、立場を越えて西川若頭が中田組長に意見することもあったようだ」(他団体幹部)

中田浩司組長と西川若頭 C)週刊実話 無断転載禁止

西川若頭は渡世を離れていた時期もあったが、山口組の分裂後、当時は山健組傘下で中田組長が率いた五代目健竜会に復帰。五代目山口組・渡辺芳則組長が興した組織であり、中田組長が山健組トップを襲名すると、山健組の保守本流である健竜会を西川若頭が受け継いだのだった。

「中田組長は〝右腕〟として頼りにしていたはずで、自身の留守を預け、『若い衆は宝』という方針も伝えていたそうだ。山健組が神戸山口組残留派と脱退派に分かれた決定的な会合では、西川若頭が口火を切って『脱退は親分が決めたことで、ここに決定権はない。我々の親分は誰や? 中田浩司しかおらん!』と、残留派に答えを迫ったとも聞く。その熱意は、中田組長、五代目山健組を支えるという気持ちがあってこそだったと思う」(同)

西川若頭の死は、山口組の分裂問題にも多大な影響を及ぼすとみられ、警察当局は各組織の動向を注視しているという。

混乱は避けられないだろう…

「神戸山口組を脱退した組織も統合するというのが、六代目山口組が描く分裂の完全終結であるはず。山口組・渡辺五代目の出身母体で、もとは五代目山健組も菱の代紋を掲げた名門組織だ。神戸脱退後に六代目側が出した『手を出すな』という通達からも、敵視していなかったことが分かる。しかし、トップが社会不在でナンバー2も空席となった今、混乱は避けられないだろう」(捜査関係者)

それを表すかのように、訃報は組織を問わず広まり、多くの関係者が「残念だ」という言葉とともに、今後を不安視した。

「時間を置いて新たにカシラを抜擢するにしても誰が就くのか、どう統率をとっていくのか、不透明な部分が多い。神戸山口組から脱退して、もうすぐ丸1年が経つが、五代目山健組から他に移籍した直参は皆無やった。強い団結を誇っとった証拠やが、急なことで今は事態を見守るしかない」(関西の組織関係者)

6月7日には西川若頭の故郷である和歌山県で通夜が営まれ、五代目山健組の直参らが弔問。家族葬のため参列はせず、通夜の開始前に焼香が行われた。

斎場周辺では和歌山県警だけでなく、五代目山健組本部を管轄する兵庫県警や警視庁の捜査員らも視察に訪れ、斎場に現れる顔ぶれを確認。この日、他団体からは、西川若頭と兄弟分である七代目会津小鉄会(金子利典会長=京都)の新原徹本部長、住吉会(小川修司会長=東京)傘下幸平一家の小坂聡・加藤連合会会長、神戸山口組傘下二代目宅見組(入江禎組長=大阪中央)の森島厚若頭、二代目浪川会(浪川政浩総裁=福岡)の梅木一馬会長らの順に姿が確認された。

西川若頭を知る関係者の一人は、こう話す。

「自分のことよりも、組織や組員のことを優先するような親分だった。苦労している組員には声を掛け、陰ながら支えていたと聞く。全員で中田組長の帰りを待ち、五代目山健組を盛り立てていこうとしていた。志半ばで逝ってしまい、無念としか言いようがない。

神戸拘置所にいる中田組長にも知らせが届いたはずで、その胸中は察するに余りある。幼なじみであり、戦友であり、何より盃を交わした親子として全幅の信頼を寄せていたのだから」

その早すぎる死を惜しむとともに、業界内には動揺が広まっている――。

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