女児誘拐殺害「飯塚事件」に浮上した「捜査機関の横暴」と「カギを握る新証言」

地裁の暴論は死刑制度維持への執念か

さらに女性の新証言に至っては「供述全般について(警察が)記憶とは異なる調書を無理矢理作成するのは、捜査機関にとって必要性に欠けるばかりか、事後にこれと矛盾する証拠や目撃者が明らかになる可能性を考えれば有害としか言いようがない」と独自の論理を展開。

「警察官がこのような捏造を行うのは考え難い」とまで言い切り「新たな証言は信用できない」とはねつけたが、過去の冤罪事件はまさしく捜査機関が「記憶と異なる調書を無理矢理作成」し続けた歴史だった事実に目を閉ざす手前勝手な暴論である。

無理な目撃証言でDNA型鑑定の綻びを強引に糊塗した1次請求審・福岡高裁判決、2つの新証言の信用性を頭から否定した2次請求審・福岡地裁判決。再審を頑なに認めないこれら司法判断から浮かび上がるのは、死刑制度維持への国家権力の空恐ろしいまでの執念である。

思えば久間の死刑執行には重大な疑念がある。

足利事件のDNA型再鑑定の可能性がメディアで一斉に報じられたのは2008年10月17日。そのわずか1週間後の同24日に当時の森英介法相が死刑執行を命じ、同28日執行。

まるで足利事件の急展開に追われるような異例のスピード執行に何の思惑も無かったと考えるなら、国家権力を甘く見過ぎていよう。

久間の刑死から丸17年、殺人と同じく人ひとりの命を奪う重大な行為でありながら、単に「執行」として抽象化する死刑制度の危うさを飯塚事件は物語っている。執行後に再審が認められた元死刑囚は過去に1人もいない。

(敬称略)

取材・文/岡本萬尋