社会

六代目山口組“射殺”“刺傷”実行犯たちの肉声――犯行と動機にみえた矛盾

六代目山口組“射殺”“刺傷”実行犯たちの肉声――犯行と動機にみえた矛盾
(C)週刊実話Web 

5月26日と28日の両日、神戸地裁で注目の被告人質問が行われた。

神戸山口組傘下だった五代目山健組(中田浩司組長=兵庫神戸)の與則和若頭が刺された事件で、殺人未遂と銃刀法違反の罪に問われた三代目弘道会・野内組傘下二代目北村組の中村光弘組員と堀田幸弘組員が出廷。この事件は平成31年4月18日、兵庫県神戸市中央区の春日野道商店街で、飲食店の女性従業員と歩いていた與若頭を中村組員が背後から包丁で刺し、臀部や腹部、左肩に全治約1カ月の重傷を負わせたものだった。犯行後、堀田組員が運転する車で逃走し、2人は警察署に出頭して逮捕、起訴された。

今年3月の初公判で、中村組員は殺意はなかったとし、堀田組員との共謀も否認。堀田組員も「中村組員が包丁を所持していることや、與若頭を襲うことは知らなかった」として、無罪を主張した。

争点は殺意と共謀の有無となったが、検察側は被告人質問で2人の証言の〝矛盾〟を指摘したのだ。

まず動機について、中村組員は「友人が神戸山口組関係者とトラブルになって、顔を潰された。平成29年には、私の舎弟が山健組に射殺された」とした。その「舎弟」というのは、平成29年9月12日に神戸市長田区の路上で、山健組傘下の黒木龍己組員(殺人容疑で指名手配中)によって、任侠山口組・織田絆誠代表(現・絆會会長)が狙われ、射殺された警備役の楠本勇浩組員のことだった。

任侠山口組では報復禁止の通達が出されていたが、射殺事件の翌年9月、中村組員が所属する北村組は、弘道会・野内正博若頭の野内組に加入。六代目山口組に移籍したため、検察側は「北村組の評価を上げるための報復ではないか」と指摘した。これに対し、中村組員は「前の組にいたときの揉め事なので批判される。個人的な気持ちでやったこと」と主張。

“痛い目に遭わせたろか”と思った

さらに、複数回刺しているため「殺意があった」とする検察側に対し、「(楠本組員の射殺事件は)與若頭の指示があったかどうか確証がないので、殺す気はなかった。『痛い目に遭わせたろか』と思った。尻を狙ったが、かなり緊張していたので意識して刺したわけではない。掴みかかられると思って包丁を振り下ろしたら、肩に当たった」と否定したのだった。

しかし初公判では、傷が深さ約15センチのものや、肝臓に達するものまであったことが明らかにされており、緊急手術を担当した医師は、「出血量は3000㏄に及び、出血性ショック状態だった」と証言していた。

一方、運転手役の堀田組員は、中村組員に荷担した経緯をこう話した。

「中村組員が『貸した金を回収せな大阪には帰れん』と言うので、助けてやろうと思った。相手については、野球帽をかぶったヤクザ風の男としか聞かされておらず、包丁を持っているとも思わなかった」

犯行直前、中村組員と車に乗って飲食店を見張り、中村組員が犯行を遂げて戻った際、「人を刺したから早う出して!」と言われ、その場をあとにしたという。

「中村組員が『相手が金を返さんかったので刺した』と言ったので、『こんなことに巻き込んで』と怒った。自首を勧め、確認するために警察署まで付いていった」と述べ、堀田組員は改めて共謀を否定したのだ。

検察側は堀田組員の関与を厳しく追及した。堀田組員が、体を賭けて現場を指揮する役割の「行動隊長」という立場にあったため、事件は北村組による対立抗争だとみていたからだ。

反対尋問で堀田組員は「覚えていない」「分からない」と繰り返し、検察側が捜査段階での供述調書を引き合いに出したことから、弁護側は「記憶と違うことを供述調書に書かれた」として、調書の任意性や信用性を争うまでに発展した。

ヒットマンたちの闇は深い…

「弁護側が対立抗争ではないと主張するのは、上部への疑いを払拭するためで、この手の裁判では常套句になりつつある。中村組員が言うように、舎弟を殺されて山健組への恨みを増幅させ、犯行に走ったとも考えられるが、北村組が六代目側に戻ったあとやったし、〝手土産〟の意味合いを含んだ犯行いう疑惑は残るやろ」(関西の組織関係者)

弘道会からは、これまでに分裂抗争で複数のヒットマンが出ており、今回の事件でも検察側が組織性を疑うのは無理もなかった。

平成28年の池田組若頭射殺事件では、弘道会・南正毅若頭補佐の三代目髙山組系組員が犯行に及び、裁判では同様に組織性を否認。しかし、当時は池田組が引き抜きを活発化させていた時期であり、「個人的な動機」や協力者の存在を検察側は問い詰めた。また、示談金目的で「身の回りの物を処分して作った」という金も高額で、全容解明とはいえない結果だった。

同年には、弘道会が本拠を置く愛知県名古屋市でも射殺事件が起きた。四代目山健組(当時)の元組幹部が射殺され、のちに弘道会・松山猛統括委員長の十代目稲葉地一家系組員らが逮捕された。発生当初、抗争事件とは無関係との見方もされたが、元組幹部が山健組との関係を継続していたとみられ、実行犯らの動機が取り沙汰された。

さらに一昨年、稲葉地一家の別の組幹部が五代目山健組本部のそばで組員2名を射殺。その後、六代目山口組直系の二代目竹中組(安東美樹組長=兵庫姫路)元組員が、神戸山口組・古川恵一幹部の命を奪い、抗争は激化の一途をたどった。

「勢力が大きいいうのもあって、主力部隊が弘道会なんは間違いないやろ。それに、司忍六代目と髙山清司若頭の出身母体やからな。警察も動向を警戒しとるはずや。ヒットマンたちの闇は深いで」(同)

あわせて読みたい