モアイ像に隠された古代大戦の爪痕 手がかりはイースター島で発見されたロンゴロンゴ文字

AIで生成したイメージ
数ある世界遺産の中でもっともユニークなモノのひとつが、イースター島のモアイだろう。

島内に900体そそり立つ人面を模した石像の平均的な高さは3.5~4.5メートル。重さは20トン程度から最大90トン近いが、つくられた理由や用途、どうやってつくられたか分からない状態だ。

「一部のモアイ像の台座部分から多数の人骨が発見されているため、墓碑説が有力視されていましたが、近年は守り神や水源の所有権を示す目的があったとみられている。
また、古代に高度な文明が存在し、その崩壊にモアイが関係しているとの説も一時は提唱された。農地を広げるため森を切り開き、食糧の増産とともに人口も増え続けたが、部族間の争いが熾烈になると所有権を示すモアイを立てた。
そうした活動が小さな島の耕作地や森を奪い、今度は人口を激減させた。ひいては島にあった文明を崩壊させたというのです」(考古学に詳しいライター)

小社発売の『シン・世界の七不思議と超古代文明の謎』では、謎多き石像と古代核戦争の可能性を論じている。

石を頭に乗せたモアイはターバン姿のインド人?

モアイ像は10〜17世紀の間につくられたというのが定説だが、これほど巨大な像を大量につくることができる文明が、他に目立った建造物を残していないのも不思議な話だ。

モアイをつくったのは西暦800年頃に島へたどり着いたポリネシア人たちとされるが、他の地域のポリネシア人はこうしたものをつくっていないため、彼らが到来する以前から、この島にいた人々の遺物と考えるべきだろう。

イースター島でも超古代核戦争の可能性では、ポリネシア人が到来する以前にイースター島にいたのは何者か? その手がかりとなるのがイースター島で発見されたロンゴロンゴ文字だ。

この文字は遠く離れたインダス文明の文字に酷似しており、ほとんど同一のものといっていい。これは、インダス文明の人々がはるばるイースター島へ渡ってきたことの証拠となる。

インダス文明の遺跡モヘンジョ・ダロには、高熱で砂が溶けてガラス状になった石や、通常の50倍の放射能を帯びた人骨など、超古代核戦争の痕跡とも思える遺物が残っている。

そして実はイースター島にも、超高温で溶けたガラス質の石がところどころに落ちており、超古代核戦争の可能性を示唆している。

そう考えると、ポリネシア人にしては彫りの深すぎるモアイの顔立ちは、インド人のようにも見えてくる。また、プカオと呼ばれる石を頭に乗せたタイプのモアイは、ターバン姿のインド人のようだ。

それと同時に、モアイは超古代の核戦争で使われた巨大ゴーレム(ロボット)を模したものでもあったと推測される。

超古代核戦争を思わせる記述はインド神話「マハーバーラタ」に登場するが、その神話には戦争のために創造された巨神兵「マダ」が登場する。

のちに「マダ」は4つに分解されたというが、それは戦争のためにつくられた巨神兵ゴーレムが、二度と戦争に使われないように手足をもぎ取られたということではないか。

だとすると、その手足をもぎ取られた状態を模して、ある種の平和モニュメントとしたものがモアイ像ということになりそうだ。

――果たして、この考察はどこまで的を射ているのか。のちの研究で証明される日が来ることを願うばかりだ。

シン・世界の七不思議と超古代文明の謎』(小社刊)より