参政党躍進は『鬼滅の刃』が立役者? ポップカルチャーとナショナリズムの接続点

参政党と『鬼滅の刃』の共通点

参政党のYouTubeチャンネルでは、鬼滅を題材にした組織論の動画まで配信されている。

「チームマネジメントにおけるトップダウン型・ボトムアップ型の違いを“鬼滅の柱たち”から学ぶ」という体裁をとりながら、そこでも煉獄や炭治郎が“理想の日本人像”として扱われている。

要するに、『鬼滅の刃』が描いた大正ロマン風の“失われた美しい日本”と、参政党が掲げる“日本人の心を取り戻す”というスローガンは、情動と構造の両面で呼応しているのである。

『鬼滅』が広く受け入れられた理由の一つは、その物語が「勧善懲悪」に回収されず、敵である“鬼”たちにすら人間的な悲しみや過去が与えられていた点にある。

しかしその一方で、“鬼”がやはり人間社会に害をなす「異物」であるという構造は揺らがない。

どこかで人は、 “内なる鬼”を排除してでも共同体を守ろうとする本能的な衝動に惹かれる。

その衝動を、神谷氏は言葉にし、参政党という政党に託して可視化した。「鬼殺隊をつくろう」という発言は、その意味で単なる比喩ではなく、文化的物語を政治的情熱に転化する試みだったのだ。

参政党が台頭した背景には、多くの国政政党に対する失望、マスメディアへの不信、グローバリズムに対する懸念がある。

だが、それだけでは人は動かない。人々の心を突き動かすのは、理屈ではなく、物語だ。

『鬼滅の刃』が燃え上がらせた“心の刀火”は、令和の政治にも影を落としている。

政治とアニメが交差する時代では、政策よりもアニメのセリフが人を動かすのかもしれない。

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