林原めぐみブログ炎上に見る分断 「日本らしさ」への正論か、排外主義か

林原めぐみオフィシャルブログより
声優の林原めぐみが6月8日に自身のブログへ投稿した内容が賛否を呼んでいる。 

発端となったのは、彼女が“今の日本”への危機感と政治的な発信の重要性を訴えた一連の投稿だ。 

その中には、「選挙に行こう」「日本の税金はまず納税者に使ってほしい」「マナーのない観光客」などの言葉が含まれており、支持者からは「当たり前のことを言ってくれた」と賞賛の声が上がる一方で、批判者からは「排外主義的」「偏ったナショナリズム」といった指摘も出ている。 

林原発言、問題視された表現 

林原のブログには、次のような記述が見られる。 

「一部のマナーの無い民泊の人や『譲る』を知らない海外観光客や、京都の竹削ってしまったりする人もいる。規制を持たないと、そこはしっかり取り締まらないとやばい」 
「日本ザリガニがあっという間に外来種に喰われちゃったみたいになってしまう」 
「日本の税金は『まずは』税金を納めた人達へ(納めた在日外国人は勿論含む)…今日本を支えている学生に使って欲しいと…思うのは排外主義と言われるのかしら」 

これらの表現は、外国人観光客や移民を名指ししていないものの、「外来種」「譲らない海外観光客」「規制」といった描写が、一部ユーザーに「排外的」と受け止められた。 

特に「日本ザリガニが外来種に喰われる」という比喩については「文化的多様性を否定する言説ではないか」といった批判が寄せられている。 

「日本らしさ」の喪失への不安? 

林原はまた、「日本の日本らしさが」「表現の自由としてのアニメも」といった表現を使い、「日本」という共同体が変容することへの懸念をにじませている。 

「このままだと、日本の日本らしさが…マナーも、態度も、技術も、もしかしたら表現の自由としてのアニメも(>人<;)」 

こうした発言に込められた思いは、「日本文化を守りたい」「善意のルールが壊れることへの危機感」である一方、それが無自覚に他者とくに外国から来た人々や制度的に脆弱な立場にある人への文化的優位性の主張に見える危うさも孕んでいる。

このブログに対して、ネット上の反応は二極化している。 

支持派の主張は「こんなにまっとうなこと言ってくれる芸能人がいるとは思わなかった」「どこにも『外国人を出ていけ』なんて書いてない」「ルールを守れって当たり前の話。なぜ叩かれるのか分からない」といったもの。 

一方で批判派の視点は「“外来種に喰われる”という比喩は典型的なネトウヨ的言説の特徴」「“我が国の学生に税金を”は、それ以外の人を排除するニュアンスを含んでいる」「“日本らしさ”を強調しすぎると、結果的に『異物排除』の論理になる」といったものだ。 

林原めぐみは反省と修正の姿勢 

林原はブログ内で、自身の過去の投稿が韓国の友人に指摘されたことにも言及している。 

「『いらぬ争いに火をつける事になる』と怒られました…今更だし、さらに火を注ぐ事になるかもだけれど、傷ついた人がいたならごめんなさい」 

このように、自らの発言が波紋を呼ぶことを理解した上で、一定の反省や配慮の意志を示していることも見逃せない。 

日本社会では長らく、芸能人の政治的発言は「リスクが高い」とされてきた。林原もそのことを踏まえた上で、次のように述べている。 

「とにかく、選挙権がある人は(18歳からね)今一度、その権利を考えて欲しいと言いたかった。やはり政治的な発言は、難しい」 

ここには、声優という立場であっても、自らの社会的責任や表現の限界に自覚的であろうとする意思が読み取れる。 

ナショナリズムとケアのあいだで 

林原のブログ発言は、「国を思う気持ち」や「文化への誇り」を率直に表現したものだろう。その点において、「ポジティブなナショナリズム」として受け取ることもできる。

しかし同時に、「守るべき共同体」への過剰な同一化が、「外部者の排除」に無自覚につながりかねないというリスクを指摘する声にも耳を傾ける必要があるだろう。

「声優が政治を語るな」ではなく、どう語るか、どのように配慮するかが今一度、改めて問われている。

【関連】中森明菜、歌手活動を3~4割にセーブか アニメ声優挑戦でタレント活動に本腰 ほか