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かわいい弟・島田紳助の話~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七(C)週刊実話Web

島田紳助が芸能界を引退して、もう10年経ちました。今でも俺にとっては、弟弟子であり、本当の弟みたいな存在です。紳助は俺が24歳の頃、大学へ進学するのを諦めて、うちの師匠、島田洋之助・今喜多代に弟子入りしたんです。

師匠は焼き肉が好きで、よく弟子を連れて行ってくれた。今いくよ・くるよ姉さんにB&B、そして紳助や運転手も入れて、総勢で7~8人はいましたね。しかも、みんな若いからよく食べる。40年以上前の話だけど、1回の食事で5~6万円は支払っていましたね。

一度、「払ってこい」と師匠に言われて、大金を渡されて手が震えたものです。当時、俺は嫁さんと家賃7000円の共同トイレ、風呂なしのアパートに住んでましたからね。

紳助は師匠のカバン持ちなどしながら修行する中で、よく俺たちの漫才を舞台袖から見ていました。終わると、「このネタはどうやって作るんですか?」と聞くから、「見といたら分かるわ。『芸は盗む』いうけど、どんどん盗んでエエねん。特に漫才のパターンは盗んで、言葉なんかを変えればエエねんで」と言いましたね。

漫才を作ったことがない人が、ネタを作るのは無理でしょ。型をある程度覚えないと作れないんです。俺たちだって、やすきよ(横山やすし・西川きよし)さんの漫才のパターンを最初はマネしたものです。相撲だって先輩の稽古を見て、型を覚えるでしょ。それと一緒ですよ。

お笑い芸人として抜群の頭のよさを持っていた

芸を盗むのは才能なんです。同じネタを違うコンビがやっても、全くウケない。〝間〟だったり、ネタの展開だったりが関係してくるんです。以前、弟子にB&Bの漫才をすべて教えて、やらしてみたことがあるんですけど、B&Bのようにはウケないんです。

その点、紳助はコピーがうまかった。勉強ができる頭のよさではなく、お笑い芸人として抜群の頭のよさを持っていましたからね。

ただ、〝間〟は持って生まれたものだと思うんです。例えば、「0.1秒早く突っ込め」なんて言われても分からないし、教えることもできないでしょ。紳助と話したことがあるけど、しゃべくりも95%は才能ですよ。

稽古したからといって、上手くなるものではありません。島田一門は、師匠がしゃべくり芸の人だったから、いくよ・くるよ姉さんもB&Bも紳助・竜介も、みんなしゃべくりなんですよ。ドツキ漫才とかはしないんです。

その後、島田一門の3組が漫才ブームで一気に売れた。その漫才ブームが終わる頃、紳助と一緒にあるテレビ番組のインタビューを受けたんです。

「B&BがNHK上方漫才コンクールで優勝したのを見て、この人は面白いな。俺は絶対に漫才師になると決めたんです」と紳助が答えたあとに、「でも、洋七兄さんなら抜けるかも」ってオチつけるから、「バカヤロー(笑)」ってツッコミましたね。さらに「B&Bの島田洋七を倒すことに青春を捧げるために漫才師になったけど、兄さんが勝手に倒れましたわ」って、またもきちんと落とすから、頭をひっぱたきました(笑)。

俺も紳助も、普段から話はきちっと落とす。そういう感覚は似ています。ホンマに可愛い弟ですよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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