映画『シンシン/SING SING』で突きつけられる「罪を償う立場の人を笑わせることは正しいのか」という視点

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【やくみつるのシネマ小言主義第274回】
本作の資料に「アメリカの刑務所に収監された人々の80%以上は、無実の罪だった」とあります。

にわかに信じ難いことですが、実話を基にした本作の出演者も無実の罪だったということです。

ニューヨークにある最重警備のシンシン刑務所へ、主人公たちがどんな経緯で収監されたかは詳しく語られないものの、理不尽な運命に心折れることなく更生するためのプログラムが「演劇体験」だったことが、本作のユニークな点となります。

この事実を映画化する意義は確かにあると思うのです。ただですね。類似した設定には枚挙にいとまがない。

素人集団が集まってオーケストラに挑戦してコンクールで入選するとか、寄せ集めの老人軍団がゲートボールの試合で勝利するとか、みんなで協力してギャップを克服する設定は、かなり既視感があるなと思って見ておりました。

本作では、演劇仲間の1人が亡くなってしまうという悲しい事態はあるものの、刑務所内では基本的に平板な日々が続いていく。

刑務所という設定が足を引っ張り、どうしても起伏の少ない映画に感じてしまうのは致し方ないところでしょう。

ところで、日本でも刑務所へ慰問に訪れるボランティアを続けている歌手や芸人の方がいらっしゃいますよね。

荒んだ心を少しでも懐柔し、人間性を取り戻すきっかけを作ろうという、その行為自体の意義を認めつつも、自分はその必要があるのかと思ってしまうのですよ。

無実の方がいるかどうかはまた別問題として、罪を償う立場にある人を笑わせたりして娯楽を享受させることは、果たして正しいことなのかとずっと考えています。

被害者の悲しみは簡単に拭えない

というのも、どんな罪でも被害者の方は一生、心の傷になっていると思うんです。

たとえ加害者が刑期を終えたとしても、恐怖も、怒りも、悲しみもそう簡単に拭えるものじゃない。

なので、あまりに不公平ではないかと。

被害者は芝居も歌も見に行く気にもならないほど傷ついているかもしれないのに、加害者が芝居や歌で癒やされてどうすると。

以前から、そういう立場をとっている人間だけに、本作にはどうしても感情移入ができなかったのかもしれません。

米国の刑務所のすべてが同様なのかは分からないのですが、最重警備とはいえ、独房ですらちょっと快適そうなんです。

「俺の部屋とそう変わらないんじゃね?」とつい冷めた目で見てしまった自分です。

シンシン/SING SING
監督:グレッグ・クウェダー
出演:コールマン・ドミンゴ、クラレンス・マクリン、ショーン・サン・ホセ、ポール・レイシー
配給:ギャガ
4月11日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開

身に覚えのない罪で収監された男、ディヴァインG(コールマン・ドミンゴ)は、刑務所内更生プログラムである「舞台演劇」のグループに入り、収監者仲間たちと日々演劇に取り組むことで、生きる希望を見いだしていた。そんなある日、刑務所で一番の悪人として恐れられている囚人、ディヴァイン・アイことクラレンス・マクリンが舞台演劇のグループに参加することになる。演劇グループは、次の公演に向けた新たな演目の準備に取り掛かるが…。

「週刊実話」4月3日号より

やくみつる

漫画家。新聞・雑誌に数多くの連載を持つ他、TV等のコメンテーターとしてもマルチに活躍。