「朝鮮出兵という馬鹿なことをやっていなかったら、豊臣政権は短命に終わらなかった」“終活”に学ぶ人生流儀 加来耕三が語る偉人たちの覚悟

「じつは考えているようで、秀吉は後々のことを何も考えていなかった」

『日本史 至極の終活』
会社組織における理想を言うなら、平社員は課長の立場で物事を考える。課長になったら、次は部長の立場で考える。部長になったら、次は役員や社長、経営者の立場で考える。

常に先々を見据えて、考えることが望ましい。

また、会社員として成功している人は、それができています。もちろん、この会社でやるぞ、この業界で頑張るぞ、という「覚悟」もあるのですけれど、同時に先のことまで考えながら、時折、考えを修正していくことが成功の秘訣なのです。

ところが、目の前のことばかりやっていると、それが解決した時点で思考が停止して、最後は秀吉のようにとんでもない脱線をしてしまう。もし、朝鮮出兵などという馬鹿なことをやっていなかったら、豊臣政権は短命に終わらなかったはずです。

秀吉は戦国時代の人間ですけれど、日本人の意思決定の仕方というのは、今でもそれほど変わっていません。トップに立って、有終の美を飾れる人間というのは、自分が死んだ後のことまで慎重に考えています。

秀吉にしても、晩年まではきちんと考えていました。いちばん警戒すべきは徳川家康ですから、片田舎の江戸に飛ばして、もともとの領地だった東海道には、すべからく合戦に強い武将を配置している。さらに奥州には、蒲生氏郷という豊臣政権で最も強かった武将を置いた。

しかし、天下人、あるいは優秀な経営者にしても、人生で一つだけ思うようにいかないことがある。それが寿命です。

秀吉は秀頼が生まれたとき57歳ですから、自分の後継者として育つ前に死なざるを得ない。幼い秀頼に権力を譲渡できるだろうか、そう思ったときに考えがブレてしまった。自分が死んだ後の、ビジョンが描けていなかったのです。

秀頼が生まれた段階では、まだ甥の秀次が関白の地位に就いていた。秀吉がその座を譲ったわけですが、この秀次をきちんと納得させて、時期が来たら秀頼を後見してくれるよう、話をつければよかったんです。

ところが、秀次を自刃に追い込み、彼の妻子を皆殺しにしてしまった。

朝鮮出兵という暴挙に出たおかげで、豊臣政権は根本から揺らいでいく。

秀吉は秀頼の未来を憂いながら、七転八倒して死ぬわけです。じつは考えているようで、秀吉は後々のことを何も考えていなかった。

秀吉の死後、間もなく関ヶ原の戦い、続いて大坂の陣が起こり、天下の覇権を徳川家が握ることになる。

秀吉が思いを定めていなかったために、豊臣家は滅亡してしまうのです。
加来 耕三

加来 耕三(かく こうぞう)

1958年、大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒業。同大学文学部研究員を経て、現在は歴史家・作家として、独自の史観にもとづく著作活動を行う。 内外情勢調査会、地方行財政調査会、政経懇話会、中小企業大学校などの講師も務める一方、 テレビ、ラジオなどの番組監修・構成、企画、出演など多方面で活躍中。2023年に作家生活40周年を迎え、これまでに刊行した作品は400冊を超える。