みのもんたさん“夜の銀座の帝王”武勇伝! 30万円の高級ウイスキーをクラッシュアイスに注ぎ…

みのもんた (C)週刊実話Web
『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)、『秘密のケンミンSHOW』(同)、『朝ズバッ!』(TBS系)など“世界一忙しい司会者”として人気を博した、みのもんたさん(本名・御法川法男)が3月1日未明に死去。80歳だった。

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みのさんは立教大学卒業後の1967年、文化放送に入社。

深夜番組『セイ!ヤング』の初代パーソナリティーに抜擢され人気アナウンサーの仲間入りを果たした。

79年に同社を退社。

「退社後は、父親の経営する水道メーター会社『ニッコク』に入社し、フリーアナとの二刀流で活動しました。フリーとして最盛期には16本のレギュラー番組を持ち、06年には『1週間で最も多く生番組に出演する司会者』として当時のギネス世界記録に認定されました」(夕刊紙記者)

みのさんのもう一つの“活動の場”は夜の銀座だ。

平日の月曜から金曜まで銀座のクラブをハシゴし“銀座の帝王”と呼ばれた。

「みのさんのクラブ遊びは、番組やメディア、ニッコクの仕事関係者らと一緒のときが多かった。彼にとって銀座のクラブ遊びは営業接待も兼ねていたんです」(銀座クラブポーター)

みのさんの銀座での酒豪伝説は有名だ。

「高級ウイスキーのバランタイン30をクラッシュアイスに注ぎ飲んでいた。クラブ値段で30万円。店としては最高のお客様です。しかし、みのさんは同伴ホステスに一気飲みさせるから、店に到着したときにはそのホステスは酔って仕事にならない。その上、ついたホステスに触るセクハラ常習犯。店では歓迎されていませんでした」(みのさんが常連だった銀座クラブ『B』の元男性スタッフ)

“40歳年下恋人”をフライデーされたが…

みのさんは愛妻家としても知られていた。

糟糠の妻・靖子さんが亡くなったのは12年5月だった。

「毎晩のように銀座に来てクラブをハシゴしていたみのさんは、奥さんの喪に服して1年間、銀座遊びを控えたんです」(同)

銀座クラブ通いを復活させたみのさんに40歳年下の恋人の存在が写真週刊誌『フライデー』で報じられたのが20年。

「『フライデー』に報道される前、東京・日本橋にあるステーキハウス『M』で、みのさんがその女性と一緒にいるところに偶然、隣り合わせたんです。みのさんの女性のタイプは、素人のような女性とクラブ関係者から聞いていた。その女性は見るからに素人で、昼間は介護学校に通っていてホステスは学費を稼ぐためのアルバイトだったんです」(芸能ライター・本多圭氏)

40歳下の女性と別れる際、1億5000万円の高級マンションを贈与したとされる、みのさん。

女性トラブルとは無縁だった?

「週刊実話」3月27日号より