「良心の呵貴にさいなまれ、何度もやめようと思った」地下鉄サリン実行犯・林郁夫はなぜ死刑を免れたのか

「私は…やっぱり生きていちゃいけない」

「昭和の大スター・石原裕次郎さんの手術医メンバーだったという経歴です。裕次郎さんは1981年(昭和56年)、『西部警察』の撮影中に倒れて慶応医大に緊急入院し、解離性大動脈瘤と診断された。このときに林は手術スタッフを務めていたのです。石原プロモーションは否定しているものの、教団施設の強制捜査や幹部らの逮捕時にこの情報が一部メディアで報じられたため、林への対応が敬意を払うものに傾いたとみられているのです」(前出の社会部記者)

こうした対応が、のちに医師としての倫理感を呼び戻し、地下鉄サリン事件の実行犯である自供に結びついたと言われる。林の量刑が最終的に無期懲役に決まったのには、“異質”ともいえる裁判内容も大きかった。

「林は地下鉄サリン事件を自供。さらに、あらゆる事件の起訴事実を認め、これがオウム解体の足掛かりとなったことから、検察は林の自供を“自首”と認めた。また、悔恨の情にかられた林は、何度も法廷で『私はやっぱり生きていちゃいけない』と声を上げて泣き、事件で命を奪われた営団地下鉄駅員の妻は『死刑を望まないので、生涯かけて刑務所で償いをさせてほしい』と証言した」(同)

林の裁判は“慟哭の裁判”とも呼ばれた。地下鉄サリン実行犯で唯一死刑を免れた林は現在78歳。事件から30年経った今、何を思うのだろうか。