オウム真理教に「美人信者」が多かったワケ 大量入信&出家を支えた“大師マニュアル”の呪縛

井上嘉浩は女性信者獲得のエキスパートだった

「この項目があったのは、教祖・麻原彰晃が美人信者との肉体関係を望んでいたからでしょう。麻原は複数の女性信者に何人もの子供を産ませていたが、“最終解脱者”として日常的に性のイニシエーションを彼女らに行っていた。そのため、勧誘にあたっていた信者らには『細面の知的な美人を狙え』と指示を出されていたようです。また、正大師の中には麻原に女性との肉体関係を許されていた者や隠れてコトに及ぶ者もおり、そうした意味合いもあって一部で“大師マニュアル”と呼ばれていた」(同)

このマニュアルは当時、教団内では重要機密扱いだったが、そのわけは国内外の新興宗教の性加害や性との関連が疑われる儀式が、頻繁にマスコミの話題を集めていたから。宗教法人の認可が下りて日が浅かったオウム真理教は、さらなる「信者獲得」「教団拡大」のため、そうした“汚名”を着るわけにはいかなかった。

そのため、マニュアル焼失後は教団内部で暗黙のルールとして受け継がれていたようだが、幹部の中でもこの教えを率先して行っていたのは、地下鉄サリン事件や目黒公証役場事務長監禁致死事件などに関与した罪で2018年(平成30年)に死刑執行された井上嘉浩だったという。

前出の社会部記者が言う。

「井上は性的欲求が強く、自ら性欲処理を行ったことが麻原にバレて独房に入れられたこともあった。その一方で女性信者の勧誘にも積極的でこれが見込まれて師長、正悟師と昇格していく。性的エネルギーを注入するイニシエーションを女性に施し、肉体関係を結んでは入信・出家を促していたのです」

こうしたいきさつから井上は教団内でも女性信者らの信頼も厚く、オウムというより井上個人のファンとして入信した者も多かったといわれている。