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島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』~ビートたけしと最後のテレビ共演

島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』~ビートたけしと最後のテレビ共演 
島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』(C)週刊実話Web 

たけしの映画『アウトレイジ 最終章』が2017年に公開されたでしょ。映画宣伝のために、たけしはテレビ東京の朝番組に5日間出続けた。その時、テレビ東京のスタッフから「たけしさんに旅番組に出演してもらおうと思っているので、洋七さんにもぜひ出演してほしい」と連絡があったんです。それが『たけしが行く!わがままオヤジ旅with洋七』という番組でした。

たけしは、照れ屋で人見知りだから、他のタレントさんだとあまり喋らないし、ボケないんですよ。しかも、1泊する番組だから余計にね。俺なら気心が知れているし、楽だと思ったんでしょう。ロケへ行ったら無茶苦茶ボケるんですから。

夜は旅館で夜の11~12時くらいまで飲みました。その時は昔話に花が咲きましたね。昔のほうが絶対にギャラが高いとかです。

漫才ブームだった1980年代初めは日本の景気もよくて、今より物価が安かったから、余計にそう感じたんでしょうね。あの当時、1回の営業で数百万円はもらえた。「漫才は20分くらい出れば、大金が手に入るから楽だよな」と話していたものです。

たけしが「洋七は、もみじ饅頭とかやって終わりだもんな」と言うから、「たけしだって、コマネチとかわけの分からないことをやってよ」と返したり…。「それで大金が入るなんていい商売は他にないよな」ってね。

しかも、地方の営業だと1カ所だけで終わらないんです。例えば、宮城県の仙台市で漫才をして、そこから少し離れた地域なら、お客さんも被らないからもう1回営業ができる。宮城県内だけで1日に2~3カ所回れるんですよ。

30分間漫才をやって1人150万円もらえた

漫才なんてリハーサルもないし、B&Bは稽古すらしなかった。舞台に上る前に相方の洋八に「野球のネタやるで」と言うだけ。あとはほとんどアドリブでした。それで40分くらい漫才ができたんですよ。だから、漫才が難しいと思ったことがない。

そういう営業では漫才コンビが1組だけでなく、何組も出る。だから、会場に30分前に入って、30分間漫才をやって、次の会場へ移動すればいいだけ。そうすると、ギャラの一部を事務所が取って、残りを洋八と折半しても、1人150万円はもらえたんです。

俺らに比べると、昔の歌手は大変だったでしょうね。バンドを引き連れて、リハーサルをして、何十曲も覚えて歌わないといけない。俳優さんにしても、膨大なセリフを覚えて、演技して、何日間も撮影する。それはハードでしょう。

旅番組は2日間かけてロケをしても、そんなにギャラはもらえない。先の旅番組は、最初は「東海道爆笑珍道中」と題して静岡県を中心に旅したんです。料理屋を借りたときには、俺が久々にたけしに料理を振る舞ったんです。1回目が好評だったみたいで、翌年はたけし映画の常連である岸本加世子さんや亡くなった大杉漣さんも加わって、日光と宇都宮へ行きました。

最後は加藤茶さんも出演して金沢を旅した。結局、3回放送されたんです。

たけしと共演した最後のテレビ番組だけど、俺にとってはすごくいい思い出ですね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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