後藤真希“四十路写真集”に早くも期待! 25周年記念『flos』が爆発的大ヒットしたワケ



『モー娘。』卒業後は不幸が重なり…

2002年9月23日、17歳の誕生日に同グループを卒業。その後、後藤、松浦亜弥、藤本美貴の3人で、ユニット『ごまっとう』を結成したり、2004年には、安倍なつみ、松浦亜弥とのユニット『後浦なつみ』で人気を博した。

「いつも中心にはゴマキがいました。NHK大河ドラマ『義経』(2005年)にも出演。文字通り彼女の天下でした」(テレビ局関係者)

しかし、後藤は3度の休業を余儀なくされている。

「1度目は、2007年10月に起こした実弟の不祥事が原因でした。2度目は2010年1月で、母親が自宅の窓から転落死してしまったのです」(芸能レポーター)

デビューの3年前、登山事故で父親が他界。居酒屋を営みながら4人の子供を育てる母親のため、下町(東京・江戸川区)に建てた3階建ての豪邸は『ゴマキ御殿』と呼ばれたが…。

「家族に不幸が重なりました。3度目は2011年6月頃で、彼女が酒に溺れ、ホストにハマったといわれたものでした。業界関係者は皆、心配していました」(スポーツ紙記者)

芸能活動を再開したのは2014年。

「『モー娘。』OGとして音楽番組に出始めたのですが、すぐに結婚を発表しました」(芸能関係者)

お相手は3歳年下の一般男性。

「地元の仲間の飲み会で知り合い、意気投合したということでした」(夕刊紙記者)

そして、2015年には女児、2017年には男児を出産し、2児の母となった後藤。

「先輩の中澤裕子、辻希美を見習って、後藤も育児や料理をブログで紹介。ヤンキーっぽさも消え、お母さんらしくなっていきました。育児イベントにもよく呼ばれ、2017年には『ベストマザー賞』にも輝きました」(ワイドショー関係者)

しかし2019年、5歳年下の元恋人との“アパホテル不倫”を文春砲にキャッチされてしまう。

「彼女は全面的に認め謝罪。怒った夫は元交際相手に対し、損害賠償を求め提訴。泥沼の争いを演じました」(芸能レポーター)

裁判はその後、和解が成立。夫婦の仲は、なんとか崩壊を免れた。