山口百恵が人気絶頂期に選んだ「結婚&引退」という衝撃の幕切れ【“昭和100年”伝説の記者会見(1)】

山口百恵 (C)週刊実話Web
スマホやインターネット、ソーシャルメディアがインフラ化した昨今は、著名人が自分たちの声を直接届けられるようになった。結婚や出産だけでなく、不祥事に対する謝罪や釈明も“ネット化”しているが、そうしたものがなかった昭和&平成時代は、記者会見を開くのが一般的であった。

“昭和100年”を迎えた2025年、その中でも芸能記者たちが「伝説」と呼ぶ会見を総ざらい。コンプライアンスそっちのけだった時代のブッ飛びっぷりをご覧いただこう。

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「熱愛」と「破局」は“芸能報道の華”だが、その中でも40年以上たった今も芸能レポーターらの語り草となっているのが、1980年(昭和55年)3月7日行われた三浦友和と山口百恵の「伝説の婚約会見」だろう。

往年の芸能記者がこう話す。

「百恵と友和は前年10月に交際宣言して世間をアッと言わせたため、誰もがその成り行きに注目していたが、それでもこの記者会見には驚かされた。というのも、『2人が記者会見を開く』との知らせが報道各社に届いたのは会見の約2時間前。芸能マスコミは『ついにその時がきた』との思いはあったものの、虚を突かれた形となった」

東京・港区の『東京プリンスホテル』で午後4時から始まった会見は、取る物も取りあえず集まった記者やカメラマンでひしめき合ったが、金屏風をバックにした三浦友和が「こうした日を迎えられたのも、温かく見守ってくれたファンのおかげだと思ってます」と発言。カメラのシャッター音とフラッシュが瞬き続ける中、山口百恵と婚約し、11月に結婚することを発表したのである。

あり得ないサクセスストーリー

だが、この発表以上にカメラのシャッター音が鳴りやまなかったのは、続いてマイクを握った山口百恵が発したコメントだった。

当時21歳だった山口百恵は「11月15日の挙式以降は、お仕事は全面的に引退させていただきます」と宣言。伏し目がちに白い歯を覗かせ、幸せそうに微笑んだのである。

「百恵はこの後、10月に日本武道館で引退コンサートを開催。最後の曲としてシングル『さよならの向う側』を涙を流しながら歌い上げ、ステージに白いマイクを置いて芸能界を引退した。その劇的な幕切れと映画『プリティーウーマン』もかくやというサクセスストーリーは強烈で、今もファンや芸能関係者らの心をつかんで離さないのです」(同)

これが今も山口百恵が“伝説の歌姫”と呼ばれるゆえんなのである。