【紅白歌合戦のヤバすぎる事件簿(5)】本木雅弘「コンドーム事件」はお咎めナシだがDJ OZMA「ボディスーツ事件」は関係者が激怒

本木雅弘 (C)週刊実話Web
昭和から平成時代のメディアといえば、テレビが圧倒的1位だった。その中でも一番注目を集めたのが『NHK紅白歌合戦』だ。紅白が「年の瀬の風物詩」と呼ばれたのは今や昔の話だが、生放送番組なだけに、お茶の間に届いてはいけない数々のハプニングも放送されてきた。

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昭和の後半から増え続けた紅白の不祥事は、平成に入ると定番化。しばしば起きるハプニングは視聴者の関心を多く集めていた。

その中でも注目を集めたのは、1992年(平成4年)に起きた「本木雅弘のコンドーム事件」だろう。

1988年にシブがき隊を“解隊”しソロとして活動する“モッくん”こと本木雅弘が初出場し、井上陽水のカバー曲『東へ西へ』を歌ったが、その衣装は誰もがあ然とする代物だった。

「本木は当時世論で叫ばれていたエイズ撲滅を訴える目的で、白濁した液体入りのコンドームをつなげたネックレスを首からぶら下げて登場。さらに、曲の最後に大きく膨らましたコンドームを頭上に掲げて割り、前衛芸術のように白い液体を浴びてみせた。また、曲の途中には“半ケツ”を見せるシーンもあったほどです」(古参の芸能記者)

ただ、本木が起こしたハプニングが他の芸能人の不祥事と違ったのは、その行方。通常ならNHKから大目玉を食らうところを、エイズ撲滅のためのパフォーマンスと説明したことでおとがめなしな上、翌年から同局で音楽番組の司会までちゃっかりいただいたというから驚きだ。

年の瀬のお茶の間が凍り付いた!

また、同じジャンルのものとしては2006年(平成18年)に起きた「DJ OZMAのボディースーツ事件」も忘れ難い。

DJ OZMAはこの年『アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士』を引っ下げて紅白に初出場したが、事件は舞台での熱唱中に起きた。

DJ OZMAは大勢の女性サンバダンサーを引き連れて歌い始めたが、途中で舞台から姿を隠すとパンツ一丁の姿で再登場。すると同時にダンサーたちが一斉に衣装を脱ぎだし、フルオープン状態に…。

実は、その姿はフルオープンと見紛うばかりのボディースーツだったのだが、年の瀬のお茶の間を凍り付かせるには十分だった。

ちなみに、このDJ OZMAはロックバンド『氣志團』のヴォーカル兼リーダーの綾小路翔が扮したものだったが、こちらの後日談は本木の場合と真逆。紅白のスタッフ、NHKばかりか大御所の北島三郎の恨みも買ったという。