“大の虎ファン”西田敏行さんと阪神選手の知られざる交遊秘話「忘れることのできない貴重な体験」

西田敏行さん (C)週刊実話Web
阪神タイガースをこよなく愛した虎党の俳優・西田敏行さんが17日、都内の自宅で亡くなっているのが発見された。

死因は虚血性心疾患。76歳だった。

西田さんは1947年生まれ、福島県郡山市出身。1967年に俳優デビュー。映画『釣りバカ日誌』、ドラマ『池中玄太80キロ』(日本テレビ系)、『飛ぶが如く』(NHK)など数多の作品に出演した人気俳優だった。

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「西田さんの突然の訃報を知って、十数年前、六本木の高級クラブで西田さん、元プロ野球選手の田淵(幸一)と一緒に飲んだ思い出が甦りました。田淵とは法政一高時代からの親友で、私は田淵の“万年控え捕手”だった。法政大学野球部でも苦楽をともにした。卒業してからは阪神のスター選手と、いちスポーツ紙記者という関係になった。それでも、友情が壊れることはなかった。その六本木のクラブで我々の間柄を聞いていた西田さんは、即興で作詞し、替え歌にして歌ってくれたんです。私にとって忘れることのできない貴重な体験だった」(スポーツジャーナリスト・吉見健明氏)

“阪神日本一”を2度見た西田敏行さん

西田さんと田淵氏の親交は古く“ミスタータイガース”と呼ばれた阪神時代から。1978年に田淵氏は西武ライオンズへトレード。新天地で出直す田淵氏をモデルにした4コマ漫画『がんばれ!!タブチくん!!』のアニメ映画化で、タブチくん役の声優を務めたのが西田さんだった。

「田淵が現役引退してからも、西田さんとの親交は続いた。私と同い年の田淵は、1学年下の西田さんを『優しい人。周囲に気を遣う素晴らしい人』と尊敬していました」(吉見氏)

阪神が初の日本一に輝いた1985年、エースとしてチームをけん引した池田親興氏は西田さんの死に声を詰まらせる。

「西田さんは、私のために後援会・東京の池田会を作ってくれました。優しい方でした。訃報を聞いて思ったのは『早すぎる!』でした。でも、大好きな阪神の日本一を生涯で2度も見れたことは…」

西田さんは藤川阪神で、3度目の日本一を天国から応援していることだろう。

「週刊実話」11月7・14日号より