「抗議しないと…」郷ひろみとの熱愛報道の裏で松田聖子が迎えていた“深刻な修羅場”【週刊実話お宝記事発掘】

松田聖子(C)週刊実話Web
80年代のトップアイドルであり、3度の結婚、娘の急逝と波乱万丈の人生を歩んできた松田聖子。彼女を取り巻いたさまざまな騒動は今も芸能界の語り草となっているが、その“原点”とも言えるのが「郷ひろみとの熱愛報道」だった。

当時関係者らに直撃し、その内情に迫った本誌の記事をプレイバック!

【昭和57年7月8日号掲載『芸能界・新父娘戦争「親の心子知らず」か「子供私物化」か』(1)年齢・肩書等は当時のまま(一部割愛および表現を訂正した箇所があります)】

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郷ひろみとの愛がささやかれている松田聖子、本気で結婚まで突っ走るつもりなのだろうか。

原宿駅から代々木駅へ向かって約10分のところで美容室を経営するひろみの母親は、戸惑いもなく言った。

「普通のお嬢さんがいいわね。質素で芸能界の人でないほうがと、(私はひろみの嫁に)望んでいるんですよ。そりゃあもう、だんぜん九州の人。私も九州出身ですし…。ただ、彼女はひろみのファンというだけでしょう。結婚には、家族全員が反対してるんです。性格的にも合わないって理由で…」

ひろみの母親の美容室は場所柄もあって、またひろみとの付き合いを意識して、お客のなかにはスターが多いらしい。三原順子もそのひとりのようだ。

聖子はオープンして三年を経過したその美容室を、いまだに訪ねてもいない。ひろみの母親はこう言う。

「聖子さんは、ひろみのファンだから一番来たがっているんだけど、来ればまたとやかく言われるからじゃないの」

ひろみの母親は、ひろみが堀越学園高校2年生のときに歌った『男の子・女の子』の大ヒットでスターになって以後も、内職に精を出していたことで知られる。

父親が国鉄職員のため、一家は官舎に住めたが、パートに出たことも珍しくない。

だが、いまや8000万円かけた美容室の経営者になっている。ひろみのおかげである。

ひろみと聖子の愛ある交際が、「早ければ来秋にも結婚するものとみられる」といった予測までつけられ、報知新聞によって初めて報じられたのは、昨年のちょうどいまごろだ。