「政治家を目指したのは理不尽な社会への復讐」大改革を成し遂げた泉房穂前明石市長の“日本改造論”

『さらば! 忖度社会崖っぷちニッポン改造論』泉房穂
◆『さらば! 忖度社会崖っぷちニッポン改造論』/宝島社 1200円(本体価格)

――泉さんが政治家を目指そうとしたきっかけは、なんだったのですか?

泉「私の父親は漁師で、毎日深夜2時から仕事に出かけていましたが、生活は決して楽ではありませんでした。また4つ下の弟は足に障害を持って生まれたため、差別にも遭いました。私の人生の原点は『貧困』と『差別』です。
10歳のときにそんな理不尽な社会に『復讐』を誓い、政治家になることを決心しました。あれから37年後の2011年、兵庫県明石市の市長選に無所属で立候補し、当選。念願の市長になったのです」

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――明石市長時代は手厚い子育て政策を次々と打ち出し、実績を上げました。

泉「明石市長時代は四面楚歌の全敵状態で、マスコミのネガティブキャンペーンとの闘いでもありました。しかし、『市民に幸せを届ける』その思いで改革に乗り出し、子供関連予算を2.4倍に、また子供に寄り添う職員の数を4倍に増やしました。
その結果、明石市は子供の街として有名になり、人口も5%以上の1万5000人も増え、合計特殊出生率も1.63(直近5年間平均)と県内トップとなりました」

政治に根回しは必要なし!

――兵庫県知事の“おねだり体質”が問題視されています。どのように思いますか?

泉「誰のため、何のために政治をしているのかが問われているように思います。政治家に必要なのは2つです。市民を向いて政治をすること、そしてそれを本気でやる覚悟です。そもそも政治家に金品を渡すこと自体が間違っているのです。本来、政治に根回しなどは必要ありません。勘違いしている人は、考え方を改めるべきでしょうね」

――明石市を変えた実績を国政で期待する声が上がっています。今後、泉さんが出馬する予定はあるのでしょうか?

泉「日本の政治家に欠けているのは、ヤル気と知恵です。私は大同団結をして『国民の味方チーム』を作れば、全国の小選挙区で勝てる可能性が一気に高まると考えています。そこには政党はほとんど関係ありません。『政権交代をして国民を救おう』という大きな目標を掲げて一騎打ちすればいいのです。
私は現在61歳ですが、70歳になるまでの10年間を新しい政治を作るための脚本家、総監督として活動していきたいと考えています。 少なくとも明石市では成功事例をつくりました。諦めなければ道は開けます。今を新しい時代の夜明けとするのか。その選択肢は私たち一人一人の手の中にあります」

(聞き手/程原ケン)

泉房穂(いずみ・ふさほ)

1963年、兵庫県明石市生まれ。兵庫県立明石西高校、東京大学教育学部卒業。NHK、テレビ朝日でディレクターを務めたあと、石井紘基氏の秘書を経て、1997年に弁護士資格を取得。2003年に民主党から出馬し衆議院議員に。2011年5月から2023年4月まで明石市長を務めた。