「日航ジャンボ機墜落事故」から39年 520人が死亡した民間航空史上最悪の事故はなぜ起こったのか?

『日航・松尾ファイル 日本航空はジャンボ機墜落事故の加害者なのか』木村良一
◆『日航・松尾ファイル 日本航空はジャンボ機墜落事故の加害者なのか』徳間書店/2000円

――1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故を取材しようと考えたきっかけを教えて下さい。

木村「35年ほど前、私は運輸省(現・国土交通省)記者クラブ詰めの航空担当記者でした。その頃、ちょうど御巣鷹の尾根に墜落して520人が死亡した日航ジャンボ機事故の刑事処分が発表され、取材しました。日本航空、運輸省、ボーイング社の関係者全員が不起訴でした。その中に日航取締役(事故当時)の松尾芳郎さんがいました。
松尾さんは日航を代表する航空エンジニア(技術者)でしたが、群馬県警から取り調べを受け、業務上過失致死傷容疑で書類送検されました。そしていまから十数年前、知人を通じて松尾さんとの交流が始まり、墜落事故を再取材するきっかけとなりました」

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――墜落事故の原因はボーイング社の修理ミスですか。

木村「そうです。墜落事故から2年後の87年6月、運輸省航空事故調査委員会(事故調)が報告書を公表します。それによると、墜落事故の7年前に起きたしりもち事故で、機体の修理を担当したボーイング社が後部圧力隔壁の補修でミスを犯し、隔壁の強度が落ちて飛行中に与圧で破裂、垂直尾翼や油圧系統が破壊され、操縦不能となって墜落します。
墜落事故翌月の9月6日にはニューヨーク・タイムズがボーイング社の修理ミスをスクープし、直後にボーイング社が修理ミスを認める声明を出します。日本の事故調も爆発物による墜落を否定します」

事故調が捜査をミスリードした!?

――なぜ、警察・検察は松尾さんの刑事責任を厳しく追及したのですか。

木村「松尾さんは日航の責任者です。群馬県警と前橋・東京地検は、日航がボーイング社の修理ミスなどを『見落とした』と考え、刑事責任が問えると判断しました。しかし、その判断は誤っていました。事故調の報告書が判断のベースにありました。
事故調が捜査をミスリードしたことになります。松尾さんは群馬県警の取り調べで、日航の刑事責任を容認するよう強要されましたが、取り調べの内容をノートに書き込んでいました。これに資料を添えたのが、松尾ファイルです。公になるのは初めてで、ファイルそのものが特ダネです」

――なぜ、ボーイング社はいまでも修理ミスを犯したその理由を明かさないのですか。

木村「修理を担当した従業員が日本で刑事責任を問われると思ったからでしょう。海外にいるボーイング社の従業員の公訴時効は現在も成立していません。
修理ミスの理由については、エンジニアの書いた修理指示書は乱暴に書かれ、メカニック(作業員)が読み間違えたのだと思います」

(聞き手/程原ケン)

木村良一(きむら・りょういち)

1956年10月生まれ。ジャーナリスト・作家。日本医学ジャーナリスト協会理事。元産経新聞論説委員。ファイザー医学記事賞などを受賞。著書に『移植医療を築いた二人の男』『臓器漂流』『パンデミック・フルー襲来』『新型コロナウイルス』などがある。