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フライデー襲撃事件後のビートたけし~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

フライデー襲撃事件後のビートたけし~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』
フライデー襲撃事件後のビートたけし~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』 (C)週刊実話Web 

たけしは『たけし軍団』とフライデー襲撃事件を起こしたでしょ。事件後、半年間の謹慎生活に入って、沖縄の石垣島で生活していた時期があるんですよ。東京だと、マスコミの目もあるし、暖かいところがいいだろうということでね。

ある日、たけしから「石垣島にいるから来いよ」と電話が掛かってきたんです。芸能人が事件を起こすと、関わりたくないから距離を取ったり、付き合わないようになる人が多いんです。俺も最初は1人で石垣島まで行って、どんな言葉をかければいいのか思い浮かばなくて、躊躇したんです。でも、俺は売れる前からの友だちやし、精神的にも大変やろうなと、気になっていたので1人で行くことにしました。

当時、俺はレギュラー番組が数本あるくらいで、漫才ブームの時ほど忙しくなかったんです。番組収録が終わって石垣島へ飛びました。石垣島空港へ着くと、麦わら帽を被り、サングラス姿のたけしが空港まで迎えに来てくれていた。本人は変装しているつもりだったんだろうけど、独特の首の動きですぐに分かりましたわ。

たけしは、ホテルのコテージを借りていましたね。コテージなら他のお客さんとあまり会わないですから。そばには軍団もいなくて、身の回りの世話をする弟子が1人いるだけでした。2人で海岸へ行って、貝殻なんかをゴルフのパターで打ったり、砂浜に座って話したりしましたね。

たけしは笑いながら目に涙を浮かべていた…

いつもは強気な発言をするたけしも「弁護士は執行猶予がつくと言うけど、分からないよな。半年くらい刑務所行くのかな」「刑務所へ行ったらお笑いができなくなる」と相当落ち込んでましたよ。俺は「もし刑務所へ行って、北野武という人間が芸能界からいなくなるなら、佐賀か広島へ帰ると」と、たけしには伝えました。

そんな話ばかりしていたら、たけしが「洋七、もし俺が刑務所へ入ったら、しょっちゅう面会に来い」って言うから、「そんなにしょっちゅう、そないなところへは行けんやろ」と返すと、「冷たい」と言ってましたね。そうしたら、今度は「もし俺が刑務所に入ったら、お前も隣の房に入れ」って無茶苦茶なことを言い出してね。

「そう、うまいこと隣の房に入れんわ。しかも何かの事件を起こさないとアカンがな」と返すと、「あんまり重い事件を起こしたら、刑期が長くなるから、軽い事件を起こせ。万引とかよ」って言うんですよ。

「一度の万引くらいじゃ刑務所へは行かんやろ。お店の人に怒られて終わりや」と答えると、笑いながら目に涙を浮かべてましたわ。それがすごく印象に残っていますね。

裁判所へ入るたけしの様子をワイドショーで見ましたけど、厳しい顔をしていたから、不安だったんでしょうね。結局、懲役6カ月・執行猶予2年の判決が下されて、裁判所から出てきた時の顔はまったく違っていました。

安心しましたわ。事件後すぐに芸能活動を休止して、莫大な損害もあったし、社会的な制裁もかなり受けましたからね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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