五代目三遊亭圓楽の生家は、東京・浅草にあった浄土宗の易行院(現在は足立区に移転)。平たくいえば、僧侶の息子として生まれた。幼少時より病弱で、19歳のときに結核、胃潰瘍、腎臓病などで倒れる。そのため成人したら、体の楽な座っていられる仕事に就きたいと思っていた。
僧侶、囲碁打ち、麻雀打ち、落語家――どれかになろうと考えていた結果、22歳で六代目三遊亭圓生に入門。3年後に二つ目、1962(昭和37)年に真打ちとなり、五代目三遊亭圓楽を襲名した。
若手時代から持ち前のタレント性をいかんなく発揮。人気長寿番組『笑点』(日本テレビ系)の初代メンバーで、「星の王子さま」あるいは「湯上がりの男」さらには「ラベンダーマン」というように、自己PRにも芸があった。
その後、圓生師とともに落語協会を脱退。自力で寄席「若竹」を経営したが、多額の負債を背負った末に閉鎖に追い込まれるなど、不遇の時代が続いた。
83年に復帰した『笑点』では名司会者として全国区の人気を誇り、陽気なスター性は立川談志と並び称されるほどであった。
もともと談志は『笑点』の初代司会者でもあったが、あの番組で座布団争奪戦を演じる出演者は、そろってギャンブルに目がない。特に地方で収録の際は時間が余っているから、すぐ麻雀が始まる。だいたい勝ち頭が圓楽で、カモの筆頭が桂歌丸。モダンカンカンのリーダーで麻雀好きの灘康次にも、歌丸は〈ボクの見るところじゃ、落語家では一番下手〉と、著書の中で書かれている。
落語家になっていなかったらプロの雀士になっていたかもしれない、というほど圓楽の雀力は抜きん出ている。若い頃は高座で「麻雀で家1軒建てたんですよ」と豪語するくらい自慢のタネであった。
牌に触れるとやめられない性分
もっとも家1軒というのは圓楽特有の大風呂敷で、よく博打で家1軒失ったという類いの世間話に対する、ある種のアンチテーゼにすぎない。
初めて麻雀牌を握ったのが4歳。病弱の身でありながら、いったん牌に触れるとやめられない性分で、若い頃は徹マンに明け暮れた。
前座の時分には4日連続で徹マンに興じ、二つ目になってもその習慣から抜けきれない。ひどいときには高座をおっぽり出して雀荘に入り浸り、その結果、師匠の圓生から大目玉を食らったが、それでも隠れて麻雀を打ち続けたという。
私が圓楽と出会ったのは、ある週刊誌主催の名人戦の会場であった。この日のメンバーは、編集部が選んだプロが4名、雀豪と呼ばれる作家の阿佐田哲也、畑正憲、綾辻行人ほか24名、トーナメントで勝ち残った4名で決勝戦が行われ、名人位が決まるというシステムであった。
そのうち練習という意味もあったのか、円楽を含めた1組が打ち始めた。強さを誇示しようと思ったのかもしれないが、円楽だけが左利きらしく、捨て牌を逆切りで平然と打っていた。長い麻雀人生を歩んでいたはずなのに、ルール違反であることを誰も指摘しなかったわけだ。
「すいません、対局が始まる前までにちょっとお話が…」
と私が耳打ち。
「何かありましたか?」
と、圓楽。
「ええ、逆切りで打っていたので本番までに直しておいたほうが…」
「初めて言われました。でも、ありがとう」
こうしたアクシデントがあった場合、ほとんどの打ち手はツキをなくし、下位に沈んでしまうものなのだが、さすがは圓楽、ハートは強いものを持っていた。名人にはなれなかったが決勝戦まで駒を進めたのだから、麻雀の腕は相当なものと言える。
対局前は肉料理で栄養補給
あとで圓楽に聞いたのだが、麻雀に関して健康管理はもちろん、あれこれと多方面に気を配っていた。
まず、可能な限り女性とは打たない。
「女性の麻雀って一貫性がないでしょう。その場、その場で現実的な対応をする。麻雀本来の読み、場の流れなどを一切無視するから、どうも調子が狂ってしまうんですよ。すべての女性がそうとは言いませんが…」
取材など、やむを得ない場合を除き、女性を避けていたらしい。
また、食事にはかなり気を使う。
「長丁場はスタミナがものを言います。栄養を摂取していないと、持続力や粘りがなくなるんです」
朝食は和食で、納豆、焼き魚、海苔、煮物と盛りだくさん。対局前はすき焼きやしゃぶしゃぶなど、肉料理がメインになる。
そこまで麻雀に入れ込んでいただけに、圓楽は「九蓮宝燈」以外の役満はすべて達成したという。
しかし、そんな圓楽にも一つだけ悩みがあった。長男が大の麻雀嫌いという点で、これには深い訳がある。
長男誕生を間近に控えた圓楽が、自宅近くに車を停めたまま、知人宅で3日3晩の徹夜麻雀。3日目の朝、ようやく麻雀を終えた圓楽が愛車に乗ろうとすると、フロント部分に何か紙が貼ってある。
また駐車違反かと思ったら、そこにはこう書いてあった。
「兄さん、2日前に赤ちゃんが生まれました。至急、お帰りください」
弟弟子からの伝言だった。のちにこの事実を知った長男は、極度の麻雀嫌いになってしまったのだ。
(文中敬称略)
三遊亭圓楽(さんゆうてい・えんらく)
1932年(昭和7)12月29日生まれ~2009年10月29日没。1955年、六代目三遊亭圓生に入門。テレビ番組『笑点』初代メンバー。78年、師匠とともに落語協会を脱退。80年、大日本落語すみれ会(現・五代目圓楽一門会)を結成。
灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。
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