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蝶野正洋『黒の履歴書』~業界で変わる“マスターズ”の意味

蝶野正洋『黒の履歴書』
蝶野正洋『黒の履歴書』(C)週刊実話Web

ゴルフの「マスターズ・トーナメント」で、松山英樹選手がアジア出身の選手として初めて優勝した。

俺はゴルフについてそこまで詳しくはないが、マスターズはゴルフ界の4大メジャーと呼ばれる大会の1つで、初優勝したことは歴史的な偉業だとたたえられている。

マスターズといえば、プロレス界にも武藤(敬司)さんがプロデューサーを務めていた「プロレスリング・マスターズ」がある。これは、年間100試合以上こなす現役バリバリの選手ではなく、往年の名選手たちを一同に集めたレジェンド興行だった。だからゴルフのマスターズも、かつて活躍していたOBゴルファーが出るものだと思っていたんだが、どうやら違うらしい。

改めて調べてみると、ゴルフのマスターズは「前年度の賞金獲得ランキングの上位獲得者やメジャー大会優勝者など実績のある選手が招待される大会」となっている。それに加えて、一度でもマスターズで優勝すると「生涯出場権利」が与えられる。つまり、若手からベテランまで、ゴルフ界の名手(マスター)が集まる大会なんだよ。プロレスの第一線から引いたレジェンドレスラーが集まるプロレスのマスターズとは、レベルが違う(笑)。

もう1つ、大きく違うところは〝金〟だ。今回優勝した松山選手には、約2億2700万円の賞金が贈られたそうだ。プロレスのマスターズのギャラとは比べものにならない(笑)。やっぱり、メジャーと呼ばれるスポーツは金が集まってくるから、賞金や契約金も莫大になるんだよ。

新日本が世界トップの団体になっていたかも…

現在、日本のプロレスラーは他のプロスポーツと比べてあまり稼げないように思えるが、過去にはプロ野球選手よりも稼いでいた時期がある。王貞治さん、長嶋茂雄さんが年俸3000万円ほどだった時代に、(アントニオ)猪木さん、(ジャイアント)馬場さんの2人は1億円の年収があったと聞いている。実際、1983年の長者番付のスポーツ部門では、猪木さんが1位になってもいる。

その後に逆転されてしまったのは、野球はテレビに加えてメインのスポンサーが大企業だった影響も大きいだろうね。プロレスはテレビしか付かなかったわけだけど、一流企業がスポンサーになってくれるチャンスはあった。

俺が新日本プロレスにいた2000年ごろ、欧州からアフリカまで50カ国以上にチャンネルを持っているスポーツ専門の放送局「ユーロスポーツ」に試合の映像を流すという交渉を手伝ったことがあった。でも、その時はユーロスポーツ側が示した映像使用料にテレビ朝日が難色を示して、合意に至らなかったんだよ。

俺は、使用料は安いかもしれないが、世界中に新日本プロレスの試合を流してファンや視聴者が増えれば、自動車メーカーのような大企業がスポンサーになってくれると考えていて、「後からいくらでも回収できる」って訴えたんだけど、説得できなかった。

前座クラスの試合はユーロスポーツでも流していて、WCWやWWF(現・WWE)よりも新日本プロレスのほうが視聴率が取れていたらしいから、あそこはターニングポイントだったな。

当時、メディアの重要性を認識して拡大戦略を取っていれば、大企業のスポンサーがついた可能性があるし、新日本プロレスが世界トップのプロレス団体になっていたかもしれない。

蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。

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