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沖縄の“赤線”から消えた未成年風俗嬢の行方…『ゾッとする夜の街の怖い話』~その③~

(画像)urii Stepanov / shutterstock

かつて、沖縄県宜野湾市に存在してた国内最大規模の売春街「真栄原社交街」。通称「新町」とも呼ばれていたこの地区は、1950年ごろから米兵相手の売春街として始まった。

その後、日本人観光客にもウワサが知れ渡り、大阪の飛田新地や横浜の黄金町と並ぶ三大赤線地帯になったのだ。

プレハブ風の平屋に座る女の子に話しかけて、直接交渉して本番を行うシステムで、料金は15分5000円、30分1万円。しかし、2009年に沖縄県警と地元のフェミニスト団体による「浄化活動」が行われた結果、風俗店は次々と摘発。翌年には壊滅状態になり、真栄原社交街は60年近い歴史に幕を下ろした。

そんな真栄原社交街がまだ現役だったころ、女性を紹介して入店させていたスカウトマンに話を聞いた。働きに来るのはどんな女性が多かったのだろうか?

「地元のシングルマザーや大学生、夏だけ県外から働きに来るバックパッカーなど、いろいろいましたね。新町は、観光客のみならず地元客も多かったから、地元の女の子はコザ吉原(かつて沖縄市に存在したもう1つの赤線街)に働きに行っていました。あと、ホストのツケが払えなくなって、東京から売り飛ばされてくる子も多かった。ここに紹介すると、女の子に1人客がつくごとに500円のスカウトバックがもらえたんです。1日1万円になることもあったから、いい時代でしたよね」

また、ホストから紹介される子の中には、未成年の女の子も多かったという。

「僕が紹介した中でいちばん若かったのは、16歳の子。当時は身分証についても、そこまでうるさく言われなかったんです。そんなことばかりしてたから、警察に目をつけられたんでしょうけどね」

「私も裏風俗に売られる候補に入ってた」

さらに、浄化活動が開始されたころ、真栄原社交街で働いていたWさんという女性にも話を聞いた。

「最初は飲食店で働いていたんですが、時給が安かったので、週に2回ほど新町でアルバイトをするようになりました。出勤は夜8時から朝4時までで、1日3~4万円ほど。でも、しばらくして浄化活動が始まって、警察が見回りに来るようになったんです。その間は店内の電気を消して、警察がいなくなったのを確認してから、また営業していました。でも、その後、ガサが入ってオーナーは連行。私はその日、たまたま休みだったんですが、出勤していた女の子は事情聴取されて、店内にいたお客さんは窓から逃げて難を逃れたそうです。その日以来、オーナーと連絡はとっていません。オーナーはガサ入れの直前に女の子の電話番号を全部削除していたので、私のところまで警察が来なかったのは幸いでした」

そんな危機を乗り越えて、現在は一般職に就いているWさん。だが、かつて恐ろしい話を耳にしたことがあるという。

「その後、私は東京に出て普通に働いていたんですが、3年前に偶然、新町で同じ時期に働いていた子に会ったんです。お互いに顔を覚えていて、お茶する流れになりました。最初は近況を報告し合っていたんですけど、その子が突然、『ねえ、知ってた?』って。何のことって聞くと、新地で働いていた当時、明らかに未成年のC子っていう女の子がいて、この子が摘発の直前からいなくなっていたそうなんです。たぶん、県内の裏風俗に売られて、今も数千円で売春をさせられているのだとか。それで、売られる候補に私も入ってたって…。その裏風俗は、表向きは普通のスナックなので、警察も見て見ぬふりなのだとか…」

沖縄という、ある種のパラダイス幻想さえ抱きがちな南洋の島で、C子はどこへ消えたのか? かつて、消えた風俗嬢が海外で〝ダルマ女〟にされていたという都市伝説が流布したことがあったが、この話もその類いなのだろうか。

これはWさんの推測だが、C子はまだ20代半ば、どこかで客を取っている可能性は高いという。

【ゾッとする夜の街の怖い話~その②~からの続き(#②を読む)(#①を読む)】
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