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吉永小百合“76歳の艶魅力”!渡哲也さんと結婚寸前で破局の過去も

吉永小百合
吉永小百合(C)週刊実話Web

「先日、駅のホームへと上がるエスカレーターに乗っていたとき、ふと横を見たら『大人の旅をごいっしょに』と微笑む彼女のポスター(JR東日本・大人の休日倶楽部)が目に入ったんです。年齢的には一世代ほど違いますが、彼女とならいいなぁ~と、あらぬ想像をしてしまいました」(芸能ライター・小松立志氏)

いよいよ公開される吉永小百合の主演映画『いのちの停車場』(東映・5月21日~)。

「本作は、南杏子氏の同名小説を映画化したヒューマン医療ドラマです。今の日本の長寿社会における現代医療制度の問題点、そして、尊厳死や安楽死などの医療制度のタブーに正面から向き合い、それらに携わる医師・患者・その家族が織りなす人間模様を描いています」(映画ライター)

主人公で在宅医療医師・白石咲和子を演じる吉永。

「その他、松坂桃李、広瀬すず、西田敏行、石田ゆり子、南野陽子と、そうそうたる面々が脇を固めています」(映画製作スタッフ)

この映画、コロナ禍に見舞われた他、昨年9月には、この作品に出演している伊勢谷友介が大麻取締法違反容疑で逮捕されるというハプニングもあった。

「〝個人と作品は違う〟との見解から、伊勢谷の出演シーンをカットすることなく完成、公開されます。ただ、公式サイトやポスターに、彼の名前や写真は公開されていません」(スポーツ紙記者)

さて、「私、今でも電車に乗るんです。地下鉄なんか路線図まで暗記してます」という吉永は、1945年(昭和20年)3月13日生まれの76歳。

「吉永クラスになると、さぞかし『VIP』な日々を送っていると思いきや、実生活は質素そのもの。CM出演するJR東日本に配慮しているのかもしれませんが、電車移動が大好き。財布の中には〝スイカ〟がいつも入っているそうです」(芸能プロ関係者)

ちなみに、誕生日が1日違い(3月14日)なのが栗原小巻だ。

ウワサになった相手は二枚目のイイ男ばかり

「〝サユリスト〟VS〝コマキスト〟は、一世を風靡しました。また、学年は異なりますが、富司純子も同年生まれ。昭和20年は、後の大女優豊作の年でした」(ベテラン芸能ライター)

小学校6年生のとき、『赤胴鈴之助』でデビュー。以来、ずっと陽の当たる場所を歩み続けている超大物女優である。

「彼女の主演第1作となった『ガラスの中の少女』(日活・1960年)をはじめ、40本以上の作品でコンビを組んだ浜田光夫に言わせると、その頃から俳優魂を持っていたそうです。また〝男を立てる〟ことも忘れず、一緒に飲食した際には、テーブルの下から2人分のお金を渡そうとしたそうです」(前出・小松氏)

浜田に恥をかかせまいとする吉永なりの気配りだったが、浜田とは〝恋仲〟にはならなかった。

「その頃、彼女の理想のタイプは年上で、ごつごつした〝ジャガイモみたいな男〟でした。宇野重吉さんに憧れていました」(映画製作関係者)

しかし、実際、ウワサになった相手は、石坂浩二、中尾彬、渡哲也と皆、二枚目のイイ男ばかりだった。

「本当は面食いなんです。で、この中で結婚寸前までいったのが昨年亡くなった渡さんでした。昭和42~43年の頃のことです」(前出・映画製作スタッフ)

映画『愛と死の記録』(日活・1966年)で初共演し、恋が芽生えた2人。その頃、渡さんは吉永のことを「うちのカミさん」と呼んでいたという。

「もっとも、デートはもっぱら吉永の自宅。しかも、彼女の両親をまじえてお茶を飲むという味気ないものだったそうです。ただ、彼女の〝初めての男は渡さん〟というのは、芸能界では定説になっています」(芸能リポーター)

結果、両親の猛反対にあい、ゴールイン寸前で破局した。

「吉永の父親は外務省のお役人で厳格そのもの。泣く泣く、渡さんに別れを切り出したそうです。ステージママだった母親の存在も大きかったと思います」(元女性誌記者)

渡哲也の“大胆発言”に苦笑い…

後に、約30年ぶりに映画『時雨の記』(東映・1998年)、続けて『長崎ぶらぶら節』(東映・2000年)でも共演した吉永と渡。

「どちらもプラトニックな映画だったからなのか、舞台あいさつで渡さんが〝次はセックスだらけの映画で共演したい〟と話したのが、とても印象に残っています。シャイな渡さんにしては、とても大胆な発言でした。隣で吉永は〝そ、そうね〟と苦笑いするばかりでした」(ワイドショースタッフ)

ともかく、渡との破局を境に両親と反目するようになり、声も出なくなってしまった吉永。

「過度なストレスが彼女を襲いました。仕事の疲れもあったのでしょうが、一生結婚できないんじゃないかという不安から、声が出なくなってしまったようです」(芸能関係者)

そんな折、出会ったのが当時、フジテレビに在籍していた岡田太郎氏だった。

「彼女より15歳年上の岡田氏は、ドラマ班のトップディレクターで、〝アップの太郎〟の異名で女優たちにモテモテでした。業界で初めて女優の顔のアップを取り入れたのです。バツイチでした」(テレビ局ドラマ制作スタッフ)

もちろん、このときも両親は結婚に大反対した。

「仕方なく2人は、岡田氏の同僚宅で〝平服〟で挙式したのです。出席者は同僚夫妻と女優の3人だけという、今で言うところの〝ジミ婚〟でした。後に出版された本の中で、お母さんが〝(岡田氏を)殺してやりたい〟と書いて大きな話題となりました。夫妻の間に子供はいません」(前出・ワイドショースタッフ)

結婚後、プライベートでは、昨年11月に急逝した岡田裕介・東映会長とのツーショットを写真誌にスクープされたこともあった。

「実は、今回の『いのちの停車場』の総指揮は岡田会長でした。この映画は会長へのオマージュでもあるのです。是非、ヒットさせたいと思っているはずです」(前出・元女性誌記者)

ともあれ、芸能界入りして60余年。いまだ衰えぬ美貌を保ちつつ、吉永の〝大人の旅〟はどこまでも続く。

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